つばくらや軒端まで積む肥袋

田圃の中の道を徒歩通勤していましたが、純粋な農家はほとんど無く、数少ない農家らしい造りの家でした。納屋の軒下には肥料(と思われる)ビニールの袋が積み上げられ、表戸を開けた納屋の薄暗がりには絶えず燕が出入りしているのです、、、。時季的にはもう少し後の句ですが、初燕を見て思い出したので書きました。(2002年春詠)

鳥曇野に傾きし墓数基

歩いて会社へ行く途中の、道路から田圃二枚ほど離れた場所に、古い墓地がありました。遠目にも古いとわかる大小の石塔が、同じ方向に傾いて道路のほうを向いて立っていました、、、。この句を詠んでしばらくして墓地は改修され、今では石塔はきちんと直立しています、、、。偶然の一致で、私が詠んだからではありません。(2000年春詠)

下萌や芝生に光る陶の椅子

これは中国自動車道のどこかのサービスエリアだったと思いますが、どこだったかは記憶が定かではないのです。芽吹きだした芝生に、白に藍色の模様の丸い陶器の椅子がいくつか置いてありました。陶の椅子はやわらかに朝日を返していましたが、座ると冷たそう、まだそんな季節でした。たぶん出張の途中だったと思います、、、。今はドッグランがある所が多いですね。(2000年春詠)

鶯や目鼻わからぬ石地蔵

ご先祖様は信心深かったのでしょう、家の横の石崖沿いのほんの小さなスペースにも、お地蔵様や五輪塔などがあります。今では草の中で、申し訳ないという心だけは持ち続けているのですが、手が回りません、、、。このシリーズ終りです。<その9>(2009年春詠)

春泥に一枚渡す板の橋

山も荒れているだろうと思いながら道を辿ると、昔から足元が悪かった場所に荒削りの板を渡しただけの簡単な橋が架けてあった。ああ、まだ山仕事をする人があるのだと、少し安心した。林業が盛んだった頃に整備された道も、今は歩くのもままならないような状態だが、そんな中に人の通った跡が続き、辿るとたくさんの椎茸の原木を並べた場所に出た。山の中でそこだけが明るく、たくさんの春子が芽吹いていた、、、。<その8>(2009年春詠)

休み田を分けて一条春の水

これは実家から少し山のほうへ行った風景です。昔は見上げるような山の上にも民家があり、棚田が続いていましたが、人が減り、民家も無くなり、かつての棚田もただの湿地になってしまいました。そんな湿地となった棚田の中に、長年の間に自然に出来たのでしょう、細い水路が一本次の田に続き、小さな水音をたてているのでした、、、。<その7>(2009年春詠)

春の川魚影たしかめつつ歩く

川と言っても小さな川ですが、それでも魚影は濃く、学校から帰ると日課のように釣に出かけました。小さな川は大雨が降ると川の流れまで変わり、釣のポイントも変わります。新しい大物も上って来ます。だから大雨が降ると水が引いた後の釣を楽しみにしていました、、、。昔と比べるとずいぶん流れが変わりましたが、ポイントの場所には面影が残っています。人影に驚いて逃げる魚影も見えます。歩きながら、もう釣竿も残っていないだろうなあ、なんて思うのです、、、。<その6>(2009年春詠)

過疎の村つなぐ電線鳥交る

あちらの家も一人、こちらの家も一人、そんな過疎の村の家と家を、電線が繋いでいます。賑やかだった昔と変わらず、、、。お坊さんの読経の中で眼をやった電線の光景、、、。<その5>(2009年春詠)