ヘリウムガスが不足しているせいでしょうか、街から風船が減りました。掲句はそんなことがなかった昔、催し物があれば風船売が付き物で、一つや二つは手を離れて空に舞っていた頃の句です。ほんのちょっとしたミスなんです。風船売と客が「あっ」と言ったのと、私がそちらを見たのと、ほとんど同時でしたが、その時にはもう、、、。(1999年春詠)
投稿者: 牛二
蒲公英の発つ時近し飛行音
二年目に入り、また原点に戻って古い句を持って来ました、、、。このブログに使っているソフトは WordPress という無料のソフトですが、よく出来ていて、予約投稿という便利な機能があります。その機能を使い、だいたい一週間ぐらい先を目処にして書くようにしています。今(書いている今)は五日の啓蟄です。青空が広がり、やっと暖かくなりました。囀も聞こえています。そうすると、予約投稿した五日の啓蟄の句はちょうど合っていたなあ、と喜んだりするのです、、、。(1998年春詠)
平和とは何もなきこと春落葉
無理やりここまで来た感じですが、やっと一年になりました。おりしもその日が3.11とは、、、。俳人の多くの方が震災を詠まれています。私も何句か詠みましたが、どうしても上滑りな句になってしまい、長続きしませんでした。結局震災に関しては、言葉にするよりも心の中で祈ることのほうが私には向いている、というのが勝手な結論です、、、。それはともかく、一年間お付き合いいただき本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。読んでいただけることが何よりの励みで、今日まで続けることが出来ました。さて、これからはどうするか、と言うと、引き続き書いていくつもりではおりますが、そろそろネタ切れになってきました。ある日突然途切れてしまうかも知れませんが、その時はご容赦ください、、、。今後ともよろしくお願いします。(2012年春詠)
背表紙に残る金文字日脚伸ぶ
たぶんこの頃からだったと思います、古本市で沢山の本を貰ってくるようになったのは。古本市も今は図書館の入っているビルの一角でこじんまりと行われますが、当時は商店街の空き店舗を何ヶ所も使った、町おこしのイベントでした。一年で読み切れないほどの本を貰っていました。そんな中の一冊です。何の本だったか忘れてしまいましたが、昔の本の装丁にはずいぶん凝ったものがありました。書き手が一流なら、装丁をする方も一流。古本の黴っぽい匂いの中で、剥げかけた背表紙の文字を眺めていると、それだけでいっぱしの文士気分になれるのです、、、。(2003年春詠)
麗かや犬の背中に日の匂ひ
暖かな春の日を一杯に受けてふくらんだセーターのように、犬の背にも太陽の匂いがするのです、、、。(2001年春詠)
春昼や荷紐咥へて雀翔つ
ほつれたビニール製の白い荷紐、あれは良い巣作りの材料でしょうね。加工もしやすいし、保温効果もありそう。問題は他のプラスチックと同じで使用後の処理ですが、これは雀に言っても無理なことですね、、、。(2003年春詠)
落椿拾うておれば椿落つ
「後転が出来るか?」と言うので、「後転ぐらいどうってことないだろう」とやってみたら、「あれっ?」出来ない。もう一度、「あれっ?」。勢いが足りないのかと、三度目に勢いをつけたら、グキッと首の下あたりを痛めてしまった。二三日もすれば治るでしょうが、知らない間に老化は来ているのだと痛感した次第です。皆さん、後転ぐらいと侮ってはいけませんぞ、、、。(1998年春詠)
耕して十歩に満たぬ畝作る
通っているプールの二階がジムになっています。そのジムに通っている会社の先輩に時々会います。ずいぶん前に辞められた方なので、年齢も大分上だと思いますが若々しくお元気そうで、最初に声をかけられた時にはどなたか分かりませんでした。「どうされているんですか?」とお聞きすると、ジムと畑に通うのが日課だそうです。「広くはないんだが借りてね、楽しいよ、たいした物は出来ないけどね、、、」と活き活きと話されていました。それでという訳ではないのですが、私も今年は何か植えてみようと思っています、、、。(2002年春詠)
啓蟄の出でよ出でよと鳥の声
今年は二月早々にアスファルトを這う蚯蚓を見つけて驚きましたが、結局二月は寒かったですね。寒いのは苦手です。暖かいほうが好きです。やっと待ちに待った春が来た感じです、、、。掲句の年の啓蟄は暖かで、鳥の声に溢れていました。鳥たちの声は、まるで土の中の虫たちを誘っているように聞こえました、と言うのは言い過ぎでしょうか、、、。(2011年春詠)
ものの芽や鳥さかさまにぶら下がり
何の木だったかなあ。逆様にぶら下がって器用に木の芽を啄ばんでいた鳥だけが印象に残っている。(2010年春詠)