木枯や無住寺閉ざす五寸釘

「人数が足りないみたいで安く蟹を食べに行ける」と言うので、急遽広島県の山奥の温泉へバスツアーに行ったことがあります。急に行ったことを理由にしますが、その温泉の名前が思い出せない、、、。川沿いのひなびた温泉で、川に向かって見晴らしの良い露天風呂がありました。少し歩いたところに橋があり、橋を渡ったところからお地蔵さんがならぶ坂道が続き、上りきったところにお寺がありました。普段は誰も居ないお寺なのでしょう、建物の扉はいかにも「入るべからず」と言うように、大きな釘が打たれていました。(2001年冬詠)

スコップで狸入れられ塵芥車

狸は動作の遅い動物です。そのくせ人懐っこいものだから、人里近くに住み着いては輪禍に遭うのでしょう。掲句は出張で53号線を岡山へ走っていて目にした景です。作業をされている方の無造作ぶりが印象に残っています、、、。狸汁などと言いますが、実際は臭くて食べられないとか、狸はしばらく土に埋めておいて料理すれば臭みが取れるとか、子どもの頃に聞きかじった大人の知恵ですが、実際のところはわかりません。(2001年冬詠)

登校の列のでこぼこ秋桜

休耕田に植えられるようになってからでしょうか、道端のコスモスはずいぶん増えました。小学生の背丈よりも高いコスモスも見かけます。それでいて丈夫で、少々の風では倒れません。見習いたいものです。写真は散歩の途中で見つけた小さなコスモスです。下手な写真になってしまいましたが、手前の大きなのが葛の葉、左の大きめの花が普通サイズです。(2001年秋詠)

秋茄子回覧板と届きけり

だいたい月一回の割合で回覧板が回ってくる。重要なお知らせは個別に配布されるので、たいていが他愛もない内容で、福祉団体の販売する雑貨品のカタログであったり、駐在さんの手作りの新聞であったりする。途中で止まることも多く、開催日を見れば既に過去のイベントのチラシが回ってくることも、、、。時にはレジ袋に入れた茄子が門扉にくくりつけてあることも、、、。(2001年秋詠)

車まで母の差す傘秋時雨

実家を出ようとすると雨が降っていた。車までは十メートルほど、濡れてもたいしたことはない距離だったが、母の出してきた傘に、半分ほどはみ出しながら入れてもらった。まだ母は元気だった。父も母も家を出る時は必ず見送ってくれた。見送ってくれる笑顔の奥に寂しさが見えて、こちらまで寂しくなるのだった。今は自分がその立場になって子どもたちを送っているが、子どもたちには同じように見えているのだろうか。早めだが今日は母の一周忌。(2001年秋詠)

朝まだき猫が爪研ぐ稲架の杭

この辺りで稲架を目にすることは無くなってしまったが、作句した2001年当時は、まだそこここに稲架が見られた。ある時は朝日の光の中に、ある時は朝霧の中に、一段だけの低い稲架が、何列も静かに並んでいる風景が懐かしい。そんな中で、見ればすぐ我家の猫と分かったが、田圃を横切っての朝帰りの途中、その稲架の杭でゆっくりと爪を研ぎだした。何とも満足げな姿に見えた。(2001年秋詠)

白南風や校舎に尖る避雷針

与謝野鉄幹、晶子夫妻が岡山県北を訪れたのは昭和八年夏である。その時の歌碑が県北各地に残っている。その旅の最終日に訪れ、晶子が講演を行った女学校が現在の美作高校である。正門を入ったところの植え込みに晶子の<美しき五群の山に護られて学ぶ少女はいみじかりけれ>の歌碑がある。正門から道を挟んだところにある体育館からは、夏休みの間も絶えず少女たちの声が聞えてくるが、対照的に歌碑のある校舎側は、夏休みの学校の静寂に覆われている。かつては女子高でしたが、今は共学で男子もいます。(2001年夏詠)