園丁の咥へ煙草や菊日和

前のお宅で菊を育てておられる。軒下に何鉢もならべて、水遣りや手入れをされている。今年はスタートが少し遅かったようで、まだ大輪とまではいっていない、、、。それを見てこの句を思い出したが、どこで詠んだのかを思い出さない、、、。記憶に無くて良かったのかも知れない。時代は変わるのです。名のある名園で、園丁が咥え煙草で仕事をする、なんてことは在り得ないだろうから、、、。(2001年秋詠)

鉄工所夜業の窓にアークの火

夏の間は、窓も大戸も開け放って、作業する姿が見えていた鉄工所も、秋が深まるにつれて窓も大戸も閉じられてくる。夜、残業を終えての帰宅途中に傍を通ると、閉じられた窓硝子のむこうに、溶接の青い火と飛び散る火の粉が煌めくのが見える。しばらく強く煌めいたかと思うと弱まり、また強くなる。その煌めきに合わせて、溶接の音が強くなり弱くなり、低く聞こえる、、、。(2001年秋詠)

閂で閉ざす社や銀杏散る

近所にある小さな神社、鬱蒼とした森の中の神社の周囲にだけ日差が降ってくるような所である。もちろん普段は宮司も居らず、お参りする人もほとんどいない。掃除も年に何度かの行事の時に行われるのみである。そんな神社なので、境内に点在する数本の銀杏の落葉が、境内やら社殿の屋根を覆いつくしてしまう。神秘的な光景がもうすぐ、、、。(2001年秋詠)

宍道湖に伯耆富士浮き秋澄めり

こちらは宍道湖の秋、町内会でバスを仕立てて数年に一度の親睦旅行に行ったときの句。出雲大社に参拝して宍道湖沿いの温泉で宴会、その後どういうコースだったろう(?)帰りのバスの窓から見た宍道湖はすでに夕景に近かったように記憶している、、、。(2001年秋詠)

秋めくや洋灯の宿に古箪笥

久世にランプを見せてもらえる旅館があると聞いて寄ったことがあります。残念ながらもう営業されていないのか、ホームページも消えているようです。実用的なランプから、装飾に技巧を凝らしたランプまでありました。ほんのきまぐれで寄っただけなのですが、暗くした古い二階の和室へ通され、一番見事なランプをわざわざ灯してくださいました。火を点けた時に、やさしく広がって行くランプの明かりは素敵です、、、。これも演出の一部なのでしょうか、古箪笥が、、、。(2001年秋詠)

無遠慮な保険外交秋暑し

外交員なのだから図々しく押していかないと契約が取れないのはわかるが、程度が過ぎると話をするのが嫌になってくる。社員食堂の昼食時間には入れ替わり立ち代り保険の外交員が来た。地道に人脈を作り、長年訪れた外交員もあったが、多くはすぐに消えて行った、、、。(2001年秋詠)

新涼や路地に母呼ぶ幼声

長いサラリーマン生活のほとんどを、同じ時刻に同じ道を通り、同じ路地を抜けて会社に通った。長い年月の間には、畦道が立派なアスファルトの直線道路になり、やがて周辺が宅地へと変わって行った。新しい家が建ち、新しい人々の営みが始まった、、、。よくよく考えてみると、徒歩20分の通勤路で、ほとんどの道が変わって行った。唯一変わらなかったのがこの路地だったように思う。もちろん、住んでいる人は歳をとり、子どもたちは巣立って行ったが、、、。(2001年秋詠)

猪罠を閉めて迎ふる御慶かな

「知り合いの猟師に頼まれた」とかで、父が場所を貸し実家からほど近い所に猪罠が出来たのが前年のことです。猪が入ると猟師が来て処分し、場所代として肉を置いて行く、という段取りでしたが、ずい分入ったのでしょう、当時は帰省する度に猪肉を持たされました、、、。子どもの頃にも猪罠を見たことがありますが、その猪罠は、山の中の広場に太い丸太で砦のような囲を作った、何となく時代劇の一場面を見るような、子ども心をくすぐる代物でした。それに比べると現在の猪罠は、動物園の猛獣の檻のような、鉄製で冷たい無機質なものです、、、。掲句は正月で帰省し、気になって聞いた時の句、いくらなんでも正月から殺生はないよね、、、。(2001年新年詠)

神木の朽ちたる幹に注連飾る

木はいつの時点で神木となるのだろうか。神社の境内や神域に生えればすべてが神木かというと、そうでもない。何かの曰く付きの木は別にして、神社の境内や神域に生えた一般の木は、ある程度(たぶん人間の寿命ほど)年数を経て、見た目が立派になった時点で、何かの拍子で神木になる、、、。「おいおい、余ったからゆうて、注連縄あ勝手に張っちゃあいけんで。また神木が増えとるがな。神木になったらなあ、もう切るわけにゃあいかんからのう、後々まで困るで。」とは近所の長老の言葉、これが何かの拍子の正体らしい、、、。確かに神木を切って事故にあった話はよく聞く。触らぬ神に祟りなしで、とにかく古い注連縄は取り替えて新年を迎えるのが役員の仕事、、、。掲句の大きな神木、老朽化で危険なため近年クレーン車を使って伐採された。もちろん、お祓いをした上で、、、。(2001年冬詠)