十月の雀に愁なかりけり

雀はずいぶん少なくなりましたね。今年は秋の田圃に付き物だった案山子やキラキラと輝くテープを見ない内に収穫が終ってしまいました。農業に従事されている方にとってはありがたいことだと思いますが、暇な私は原因は何だろうかなどと考えてしまいます。そんな中でも我家の屋根の上には、十羽にも満たない数ですが、今も賑やかな声が聞えています。雀の声ってホントに楽しそうですね。(2010年秋詠)

秋時雨音なく露台染まりゆく

小高い丘の上にあるレストランの部屋からは、バルコニーと遠く中国山地の山並が眺められた。普段は使われないのであろうバルコニーには、畳まれたパラソルや生ビールの樽が、テーブルと一緒に夏の名残りのように片寄せて置いてあった。句会が終わり、隙間のような時間が過ぎていた。ぼんやりと目をやっていたバルコニーに、急に影が走ったような気がしたと思ったら、テーブルも床も黒く染まって行った。(2010年秋詠)

きちきちが次のきちきち発たせけり

いわゆる精霊飛蝗であるが、子どもの頃は飛蝗と言えばこれを指していた。比較的背の高い草原に多い。近づくとキチキチキチと翅を鳴らして飛立ち、数メートル先の草原に舞い降りる。そこからまた次がキチキチキチと飛立っていく。限りなく続けば面白いのだが、、、、、。少しずつ秋も深まってきた。(2010年秋詠)

捕まらぬ距離を保ちて赤とんぼ

河原に群れている赤蜻蛉の中を歩いて行くと、捕まらないように程よい距離で群が開いていく。蜻蛉の眼は後のほうまで見えるから、スイスイとそ知らぬふりで距離をとり、通り過ぎるとまた元の群に戻っていく。(2010年秋詠)

夏雲と秋雲空を住み分けし

ある季節が去り、次の季節に移り変わろうとする頃の空を「行き合いの空」と言うそうです。もちろん夏から秋に限った事では在りませんが、美しいのはやはり夏から秋への「行き合いの空」ではないでしょうか。上空にはすじ雲、遠くの山の端には小ぶりですが峰雲が立ち上がり、両方の美しさが見える時があります。(2010年秋詠)

軋みつつ首振る秋の扇風機

今日は処暑です。今年はとうとうエアコンを使わずに過ごしました。この軋みつつ首を振る扇風機には、今年はとりわけお世話になりました。節電にはなりましたが、頭の中はいつもボーとした状態で、結局のところ生産性は悪かったように思います。長年の贅沢病が、そう簡単に治るはずはありませんものね。(2010年秋詠)

苦瓜の触れて匂へり蔓までも

糸瓜、ひょうたん、朝顔、ゴーヤと植えてみましたが、グリーンカーテンにはゴーヤが一番でした。色合い、葉の大きさ、強さ、どれをとっても最適でした。それに収穫した実が食べられるのも良いですね。赤く熟れた実が突然にぱっくりと割れて、種が飛び出してくるのはちょっと不気味な感じがしますが、飛び出す種の周りが甘いのはご存知でしょうか。(2010年秋詠)