初冬のくず菜投げ込むコンポスト

もう三十年ばかりコンポストを使っています。残飯を堆肥にして土に戻すというアレです。市から補助が出て、ずいぶん安く手にいれた記憶があります。一杯になって来たら違う場所に穴を掘って移動しますが、その係は、もちろん私です、、、。昔は年に何回も移動していましたが、二人暮しになって残飯もめっきり少なくなりました。完璧かと言うとそうではなく、夏場は虫が発生したりもしますが、それでも飽きずに使い続けています。(2010年冬詠)

枯蟷螂這ふとき鎌も使ひけり

冬に入り昆虫が少なくなった中で、蟷螂(それも枯色の)は比較的目にすることが多い。蟷螂はもともと飛蝗や蝗のように活発に飛び回る虫ではないが、この時季になるとよけいに動きが遅い。一日経ってもほとんど同じところに居ることがある。犬の鼻が近づくと、一応身構えるので、生きてはいるらしい。雌ならすでに卵を産んで、死にむかうところかも知れない。雄ならばそんな雌に食べられそこねてうろついてる、哀れな一匹なのかも知れない。(2010年冬詠)

コンビニを法被飛び出す秋祭

入ろうとしたコンビニの扉が勢いよく開いて法被姿の若者が飛び出してきた。あやうくぶつかりそうになったが、次の瞬間には若者はもう通へ駆け出していた。若者が駆けて行く先からは、通の角を曲がってくるだんじりの声と鐘の音が聞えてきた。そこで初めて秋祭の日であった事を思い出した。子どもが成長してからは、祭ともすっかり疎遠になってしまった、、、。(2010年秋詠)

一夜にて落葉の道となりにけり

紅葉から落葉へと、季節の足は速いですね。一晩風が騒いだ後の朝の散歩、並木道はすっかり落葉に覆われているのです。そうしてやがて、車が通り、昼間の風が吹き、夕方の散歩の時には、掃いたようなきれいな道に戻っているのです。(2010年秋詠)

二階より鶏が顔出す文化の日

近くのお宅の車庫の屋上に、ログハウス風の小屋と鶏舎があり、鶏が飼われています。色が茶色だから矮鶏かも知れません。数匹がコッコ、コッコとよく鳴いています。暖かい昼間は外に出してもらい、屋上の手摺の上を歩いていますが、よく逃げ出さないものだと思っています。たまたま通りかかったのが文化の日で、たまたま二階を見上げると鶏の顔が覗いていた、という図。これも文化。天気の良い日でした。(2010年秋詠)

動く雲動かざる雲冬隣

早いですね。もう十一月になってしまいました。写真は数日前からヘッダーに使っているものの元の写真です。こんな風景に出会えることもあるんですね。無職になって九ヶ月、働いていたら見えなかった風景です。掲句とは全く関係ありませんが、、、。(2010年秋詠)

池の鯉秋日含めばすぐ潜る

朝は寒いが、太陽が顔を出すと途端に暖かくなって来る。ちょうどそんな晩秋の日の暖かくなりかけた頃でした。池にかけられた橋の上から覗くと鯉が寄ってきました。鯉は水面に顔を出し、大きく口を開けて動かすと、また潜っていくのです。鯉にしてみれば「餌ちょうだい!でもまだ寒いな、潜ろう!」と言った感じなのでしょうが、それがちょうど出始めた太陽の光を含んで潜っていくようで、、、。(2010年秋詠)

深秋の見慣れし街に知らぬ道

元来が出不精で、普段は必要なところにしか行かない。道も一つ覚えたらたいていその道を通ってしまう。だから、たまに横道に反れようものなら、新鮮な風景に出会って驚くのである。見慣れていたのは表通りだけで、実はその裏にこんな風景があったのだと。掲句は津山吟行での句。かつて歩いた田園地帯が、いつのまにか住宅地になり、また知らない道が増えていた。(2010年秋詠)

寝転べば秋天我に降るごとし

広い丘の所々にベンチが置かれている。屋外で寝転ぶなんて何年ぶりだろうと思いながら、寝転んでみた。晩秋の晴れた空以外に視界に入るものは無く、見つめているとしだいに、底なしの青さが自分めがけて降ってくるような、そんな感覚にとらわれた。津山グリーンヒルズ吟行での句。(2010年秋詠)

猪出でしことは日常婆笑ふ

岡山県中部の山中に本山寺という私の好きなお寺があります。合歓の会の方々と吟行したおりに、たまたま傍の民家のお婆さんと話す機会がありました。家の裏側の畑の、真新しい猪の堀跡を「いっつもの事じゃけえ。よお知っとるもんで。こかあ、じゃが芋を植えとったけえなあ。小めえのが残っとるんじゃが」と笑いながら説明してくれました。いろいろ話しているうちに「息子と一緒に住んどったんじゃが、息子のほうが先に逝ってしもうて、一人になったが、、、」という事も聞き、それからというもの気になっていたのですが、先日訪ねると家はもう空家になっていました。家の裏側の畑には、相変わらず真新しい猪の堀跡がありました。(2010年秋詠)