店奥の蕎麦打つ音も年の内

「そば切り」というのは備中地方の物なのでしょうか。そば粉十割で作る自家製だから、必然的に切れやすく、太さも長さもバラバラと言うのが「そば切り」でした。年越し蕎麦もこの「そば切り」で、肉はかしわ、野菜たくさんの煮込み蕎麦、子どもの頃にはたいして好きでもなかった味ですが、今となっては懐かしく思い出します。最近はお店で食べさせてくれるところもあるようなので、一度食べてみたいと思っています、、、。どちらかと言うと「うどん」派です、、、。(2010年冬詠)

寒狐人家うかがひつつ行きぬ

吉井川の土手と旧出雲街道沿いの集落の間には田圃が広がっている。その田圃の中を集落と並行して新しい道が一本走っている。散歩コースの土手からは集落とこの道を、遠くに見下ろすような位置関係になる。まだ夜明の暗さが残るこの田圃の中の道を、一目でそれと分かる狐が一匹歩いていた。狐は人の動き始めた人家の方が気になるのだろう、時々立ち止まってはそちらを窺い、こそこそと歩き始めるのだった。反対側の土手に人が居るなんて思わなかったのだろう、土手を散歩する私から見るとその姿は、まるで無防備に見えた。(2010年冬詠)

禅寺のつぎはぎだらけ白障子

総社市の井山宝福寺には、母が近くの施設にいたので訪れる機会が多く、ちょっとだけ母を訪ねては、一人吟行に時間を使った。宝福寺の方丈は庭越しに眺められるだけだが、禅寺らしい佇まいの立派な方丈で、雪舟が鼠の絵を描いたのもこの方丈の中だそうだ。その方丈の庭に面した障子は、やたらとつぎはぎがしてあり、それがまた冬日の中で美しい光を見せるのである。たぶん単なるデザインなんだろうとは思うが、禅寺なのであるいは何か別の意味があるのかも知れないなあ。(2010年冬詠)

一日で成りし更地や空つ風

かつては良く流行っていたドライブインだったが、閉じられてからずい分長い間ほったらかしにされていた。通勤で毎日見ながら、すっかり意識から外れていたが、ある朝大きなトラックや重機が止まっているのを見かけた。その日の帰りは残業で遅く、その場所がどういう状態になっているのか意識することはなかったが、次の朝通りかかると建物はすっかり撤去され、がらんとした空地が広がっていた。(2010年冬詠)

冬河原けものの気配して静か

この辺りに住んでいる獣と言えば、狐、狸、ヌートリア、鼬、犬、猫、鼠ぐらいです。野良犬はほとんど見かけませんが、野良猫はたくさんいます。どれも顔を合わせれば逃げ出しますが、こちらに見つからないうちは枯葎の奥に隠れて、ひっそりとこちらを伺っています。それはたぶん、狐か猫ぐらいですが、気配はするものの物音一つしないのです。(2010年冬詠)

葉牡丹の同じ顔して売られけり

ホームセンターやスーパーの前には、いろいろな苗が売られていますね。花にも野菜にも、知ったものもあれば知らないものも。これを買うでもなく見るのが好きです。ちょうど葉牡丹らしい形になりかけの苗が、箱一杯に並んでいました。同じような顔をして、、、。葉牡丹ってキャベツの仲間ではなかろうかと思うのですが、どうなのでしょうか?(2010年冬詠)

花八手路地をぬけるに十歩ほど

家と家のすき間を抜けると交差点に出る。幅の半分ぐらいは水路で、通れるのは徒歩か、自転車か、せいぜいバイクまでという、いつもの短い路地です。この路地にはいくつも句を貰いました。そんなありがたい路地の片側、塀際の柿の木の下に忘れられたように植えられている八手です、、。ある日私のバイクの後をついて来て、私の後から迷わず路地に入って来られた軽四がありましたが、案の定抜けられず脱輪されてしまいました。「急がば回れ」、知らない方でしたが気の毒でした。(2010年冬詠)

掃き寄する中にむくろの冬の蜂

いよいよ我家の落葉は山法師を残すのみとなりました。去年までは一面に散り敷いた一週間分の落葉を掃くのが休日の仕事でしたが、今年は毎日、落葉とおっかけっこをするように掃いてみました。掃いているうちに落ちてくる次の落葉をまた掃いて、これはこれで結構楽しいものですね。(2010年冬詠)