宇野港での句。港の燕なのだから、沖に出て虫を捕ってくるのは当たり前なのですが、港で眺めていると、なぜかそれが、人間の漁の営みと重なって感じられて、こんな句になってしまいました、、、。(2013年夏詠)
カテゴリー: 2013
桟橋のきしむ夏潮寄する度
宇野港での句。山の中で暮らしているので港には疎い。観光船用だろうか、海に突き出した色鮮やかな屋根のある桟橋が、波に揺れて軋んだ音をたてていた、、、。その昔、小学校の修学旅行で四国に渡る時に宇野港から連絡船に乗った。天気が悪く、船の上は決して快適とは言えなかった。乗り合わせた自衛隊員が甲板に座り込んで、缶詰を開けていた。見るとご飯の缶詰で、おかずも缶詰だった。それがなんだか美味しそうに見えて、以来憧れの缶詰になってしまいました。へんな修学旅行の思い出ですね、、、。(2013年夏詠)
こつそりと駅の燕の子が覗く
宇野駅での句。駅でわざわざ燕の巣を見上げるのは我々俳人ぐらいのものかも知れません。ちょっと首をかしげた燕の子と眼が合ってしまいました、、、。(2013年夏詠)
緑蔭の風に預くる五感かな
国道53号線の道の駅くめなんでの句。暑い日だった。句会からの帰りにちょっと休憩、大きな欅の木の下のベンチに腰を下ろすと、心地よい風が身体を撫でて行く。途端に全身の力が抜けていくような感じ、「もう俳句なんかどうでもいいか」と、しばらくはその風に浸っていたが、そこはそれ、しっかりと一句拾って帰った、、、。(2013年夏詠)
機関区に汽笛短し夏つばめ
機関区には心惹かれるものがあって、つい立ち止まってしまう。広い敷地にも、古びた大きな建物の中にも、何本ものレールが引かれ、整備待ちや終わった車両が何台も止まっている。夏には道路側の大きな扉が開かれ、整備中の車両が見えたり油の匂いがしたりする。機関区の空は広い。何羽もの燕が飛び交い、時たま短く合図の汽笛が聞こえる、、、。(2013年夏詠)
初夏の開けば白き俳句帖
いつも雑誌の付録の俳句手帖を使っている。角川の俳句には春夏秋冬年四冊の俳句手帖がついてくる。使いきれるほど詠めれば良いのだが、それはなかなか難しい。もったいないが、残っていても季節が変われば俳句手帖も変える。掲句、そんな日の一句。今年の夏の俳句手帖は表紙が薄緑色で涼しげだ、、、。(2013年夏詠)
大川の瀬のきらめきも夏の色
夏になったからと言って急に色が変わるものでもないが、そういうふうに見えるのは何とか人より先に夏を感じようとする俳人魂のなせるワザ、、、。(2013年夏詠)
ハーレーの連なる音も五月かな
五月はライダー達にとっても最高の月なのだろう。休日になると連なって走る多くのオートバイを眼にする。音の響きは何と言ってもハーレーダビッドソンだろう。あの重厚な音を連ねて通り過ぎる様は見ていても気持ちが良い。そしてそのライダーに、我々の年代かそれ以上の、意外と歳を召した方が多いのも楽しいことだ、、、。(2013年夏詠)
山の湖余花を映して動かざる
車で少し走ると日本の棚田百選に選ばれた棚田が何箇所かあります。棚田ですから山の中です。次の棚田へ行くのも山の中です。そんな道を走っていて突然開けて、現れた大きな池。人影は全く無く、鳥の声がするだけの静かな湖面に、遅咲きの岸辺の桜が、鮮やかに映っていた、、、。(2013年夏詠)
牡丹にビニール傘の一つずつ
毎年一度は近くにあるお寺の牡丹祭りに出かけるが、多くの牡丹を咲かせるのは難しいらしく、なかなか見頃に行き合うことがない。掲句は近所のお宅の牡丹、数株の牡丹それぞれに真新しいビニール傘が差しかけてあった。そぼ降る雨の中で、透明なビニール傘を通して見える紅い牡丹が何とも言えず美しかった。牡丹に雨傘を差しかけてあるのはよく眼にする光景だが、使い古しの傘ではこうは行かないだろうと思った、、、。(2013年夏詠)