黒南風や死せば更地となり売らる

私がここへ来た時にはもう一人暮らしだった、上品に年取ったお婆さん。図書館にあった古い合同句集に名前を見つけてから俳句の話をするようになったが、その頃にはもう認知症が始まっていて、同じ事を何度も何度も聞かれるのには閉口した。ある日「良いものをあげます」と言って、奥のほうから「西東三鬼読本」を持ってきて下さった。今でも私の大切な本だが、結局これが形見になってしまった、、、。そのお屋敷は長い間空家になっていたが、とうとうこの春から取り壊しが始まった。先日、梅雨の晴間に久しぶりに通ったら、きれいな更地になり、ちょうど二人の男が「売地」と書いた看板をたてているところだった、、、。(2013年夏詠)

緑蔭のベンチに一人鎧武者

※※ 映画ロケ風景 ※※ と書いて置けば分かるでしょうか。まだ二十代の頃になりますが、夏に津和野城址へ行った時のことです。城址への山道を歩いて、いきなり足軽姿のお侍に出くわしました。一瞬理解不能に陥り、心臓が止まるかと思いましたが、映画のロケと聞いて納得しました。山上の城址では、雲の位置が悪いとかで、皆さん時代劇の衣装のまま、思い思いの場所で休んでおられました。そんな中に観光客が混じっている、なんとも不思議な光景でした、、、。ふと、そんな若かった頃の夏を思い出しました、、、。(2013年夏詠)

夏川の樋門抜け来て渦となる

駐車場に車を置いて川沿いに歩いていくと西川緑道公園に出る。即ち沿って歩いてきた川が西川とぶつかるところが樋門となっている。樋門から吐出された水は、一度大きく渦を巻き、ゆっくりと下流へと流れて行く。樋門の手前には小さいが近代的な大師堂、アルミサッシの入口の向こうにお大師様が見える、、、。(2013年夏詠)

溝浚へペットボトルのお茶もらふ

現代風に言うと溝掃除、五月に各戸一人ずつ出て行う貴重な町内の行事になってしまった。溝掃除とは言うものの、今では水路もコンクリート製になり、ほとんど作業はない。休んだり話したりしながら、多少水路の水をかき混ぜたり、草を浚えたりしながら一時を過ごす。終ればペットボトルのお茶が配られるぐらいで、かつてのように昼間からビールなどという事もなくなった、、、。「渡辺さん、あんたどおしょおるんなら、家に居るんか?」「ええ、まあ」「退屈なろうが」「いえ、それが、まんざら悪うもないなあと、」(クスッと誰かが笑った)「そうか、家にじっとしとってもろくな事にゃあならんで。たまにゃあ話しいおいでえや」「はい、ありがとうございます」とは言ったものの、行けば行ったでまたとんでもない役を押し付けられそうで、、、。(2013年夏詠)

杜若木洩れ日のゆれ風のゆれ

昨年書いた作楽神社の杜若が今年は全滅状態だった。多くは語られなかったが、毎年世話をされ株を増やされてきたOさんの、その悔しそうな顔つきからおおよその想像はできた。あれだけの株が一度に枯れてしまう原因は、一つをおいて他にはあるまい。見に来られた方へお茶の接待をされるテントには、見事に咲いた昨年の写真と一緒にお詫びの言葉が添えられていた。掲句、残った株を洗って植え替えたという池の縁の二株、木洩れ日が揺れる中でひっそりと咲いていた。「見られました?きれいだったでしょう」、Oさんの先ほどとは違う笑顔が印象的だった。私もこれはこれで俳人の心をくすぐるには十分な二株だと思った。また一から始められるのだろう、昨年の状態に戻るのに何年かかるのだろう、、、。(2013年夏詠)

糸切れて春の鯉へと戻りけり

また老釣師の登場です。句から結果は見えていますが、初めてその瞬間に出会いました。ちょうど竿の先が動き、老釣師が立ち上がって竿に手を伸ばしたところでした。まだ静かなままの水面に鯉の姿はありません。間合いを計っていた老釣師は、突然ぐいっと竿を合わせます。足場を確認するように後を振り向いた老釣師は、私を見つけるとニヤッと微笑みました。私は見つからないように観察したかったのですが、これが勝負を分けたようです。ゆっくりと竿を立て、糸を巻きながら倒していく。しばらくこれをくり返すと、やっと水面に頭部が現れました。赤みを帯びた口回りの色がきれいでした。鯉は老釣師に全身を見せつけるようにゆっくりと身を翻すと、また水中に潜って行きました。50センチは越しているでしょう。そんなやり取りが何回かありましたが、突然ビシッと音がして糸が切れました。静寂が辺りを覆いました。鯉はしばらくその場にいましたが、やがて悠然と姿を消して行きました。老釣師は私に、「遊ばれてしまいましたわあ」と微笑みながら言うと、ゆっくりと竿を仕舞い始めました、、、。私が見ていなかったら上がっていただろうと思うとち、ちょっぴり申し訳ない気がしました、、、。(2013年春詠)

俳談義めばるの目玉つつきつつ

小さな食堂を見つけて入った。入口も狭く、中も十人も入れないような広さだが、小奇麗で明るい。客は無く、そこそこ年配の夫婦が慌てて持ち場に散った。シェフは奥様、主人がウエイター、そんな洋風のお店で、黒板の手書きメニューから煮魚定食を頼んだ、、、。句会まで時間も無いので、俳句手帖をとりだして句稿の整理を始めると、ほどなく後から声がかかった。見ると上品そうな老婦人だった。「俳句ですか?」「ええ、午後から句会なんです」「まあ、いいですねえ」「俳句、されるんですか?」「ええ、私も明日吟行が、」から始まって、煮魚定食が出てきても話は続いた、、、。結局、句会への準備は出来ず仕舞だったが、この次もあの食堂へ行ってみようと思う、、、。(2013年春詠)

万愚節犬にもありし泣黒子

すでにご推察のとおり嘘です。犬に黒子はありません、、、。4月1日になれば「割り箸を使ったメンマの作り方」を思い出します。実に面白い記事でついつい仕事中に夢中で読みました。探したらまだありましたので、暇な方は読んでください。場所はここです。(2013年春詠)

ひと所明るさ残し春時雨

冬の間は散歩の途中で雲行きが変わろうが、降ってくるのは雪だから全く気にならなかったが、春になるとそうは行かない。しまったと思っている間に、時雨の雲は雨の形を見せながら迫ってくる。それでもよくしたもので、濡れるほどでもなく、明るいままに通り過ぎることが多いのも春時雨。今のうちに、と犬を急かして家路を急ぐ、、、。(2013年春詠)