冬の雨捨田休田へだてなく

句会へ山道の国道を抜けて行くと、至る所に使われなくなった田圃があります。私の実家の田圃もそうです。稲作を止めたのは父ですが、きっと苦渋の決断だったのでしょう、帰省した私に謝りながら止める事を話しました。田舎を後にしている私には賛成も反対もする権利はありませんし、どちらかと言うと賛成でした。無理はしないで欲しいとか何んとか言ったように思います。あれから何年でしょう、そのような田圃を見ると、どうしても田舎を思い出してしまいます、、、。(2016年冬詠)

ラグビーの夢より覚めて膝痛む

我が母校のラグビー部、我々が行きたくても行けなかった全国大会へ今年で4回連続出場となる。大会は昨日から、初戦が今日。どんなチームになっているのだろうかと気になるが、少なくとも行きたくても行けなかった我々の時代より強いチームになっていることは確か。行けなかった我々は何も言えない。陰ながら健闘を祈るのみ、、、。(2016年冬詠)

地の底の暗さ冬至の夜明かな

技術屋の性分でついついグラフにして考えてしまう。春分、秋分がプラマイゼロの横線との交点で、夏至で頂点に達したカーブは秋分で再び横線と交わり冬至へと下降する。そしてマイナス最下点が今日、冬至、、、。(2016年冬詠)

ベルギーの和服の少女冬ぬくし

児島虎次郎の絵に「和服を着たベルギーの少女」があります。大原美術館の入口に展示されていますが、虎次郎には同じような和服を着た外国の少女の絵があるのか、子供の頃から田舎の美術館で何度も見た記憶があります。あるいは誰かの模写された物だったのかも知れません。誰もいない美術館の中を走り回っていた頃です。さて掲句、倉敷の商店街に子供たちの描いた大原美術館の名画が展示されていた時の句です。人気があるらしく、同じベルギーの少女を描いたものがあちこちにありました。児島虎次郎と同郷であること、それだけの事なのですが、この絵を見るとうれしくなるのです、、、。(2016年冬詠)

古暦ジェームスディーンセピア色

勤めていた頃、毎年貰うカレンダーにジェームスディーンの一枚物があった。最初からセピア色に印刷された古暦のようなものだったが、それが気に入って毎年貰っていた。それも含めて、勤めていた頃には毎年カレンダーや手帳に困ることはなかった。それが今では、カレンダーを手に入れるのにも苦労するようになった。もちろん、ジェームスディーンなんて、、、。(2016年冬詠)

塵芥車さつさと狸拾ひ行く

我が家を出てすぐの所で輪禍に遭った狸が動けずにいた。まだ命はあるので、ダンボール箱に入れて我が家のカーポートに連れて帰った。動けるようになれば自分で居なくなるだろうと思っていたが、次の日の朝には冷たくなっていた。市の担当課に電話して事情を話す。すぐに取りに行きますと言うので、場所と念のために電話番号を伝えて、ダンボール箱ごと出しておく。十五分後ぐらいだったか、車の止まる音がしたので慌てて出てみると、もうダンボール箱ごと無くなって、車も見えなくなっていた。早い!なんでもこうだと良いのだけど、、、。(2016年冬詠)