住み古りて梟杜の主となる

4月1日、エイプリルフールですが、まともでないような、まともな話です。春になると夜に近所の神社の杜から梟の声が聞こえてきます。時々は寝室のすぐ近くで聞こえることがありますから、たぶん我が家の傍まで来ているのだと思います。梟は留鳥で俳句では冬の季語に分類されています。けれど、近くの神社から聞こえてくるのはなぜか春ばかりなのです。ちなみに掲句は昨年の春に詠んだ句、ウソではありません、、、。(2015年春詠)

節分の豆のごとくに融雪剤

やっと節分まで漕ぎ付けました、、、。南の地方では見られないでしょうが、この辺りでは冬の間は一般道でも転ばぬ先の杖の融雪剤が普通に撒かれています。大粒の、豆と言うのはちょっと大げさですが、霰程度はあります。ちょうど節分だったので豆にしちゃいました、、、。(2014年冬詠)

着ぶくれて缶コーヒーを手に男

句会への途中に国道429号線沿いの自動販売機脇で見かけた景、昨年の句です。今年の冬のテレビコマーシャルに、自動販売機の温度を2度上げたというのが有りましたが、ちょうどあの姿でした。あのCMを見る度に思い出して、、、。(2014年冬詠)

待春の田にひとすじの煙立つ

眠りから覚めるように、少しずつ農作業が始まっている。休日になるとトラクターの音が響き、散歩の度に起された田圃の数が増えてくる。枯れきった雑草や残った藁屑を集めて燃やすのもこの頃、田圃から立ち上る煙を見ると春が近いことを感じる、、、。(2014年冬詠)

句碑あらば裏を見る癖石蕗の花

一月も今日で終わり、早いですね、、、。これも退職前の四国での句です。石蕗は初冬に咲く花で、実際この辺りではすでに枯れきっていますが、四国赴任中は一月でもずいぶん目にしました。それも自生しているのでしょう、なんでもない山道で見かけることがよくありました。掲句は昨日の句と同じ日、ついでに巡った別の札所寺での句です。やはり句碑の足元には石蕗の花が、、、。(2011年冬詠)

灯台は陸のさきつぽ水仙花

退職前、四国赴任中の室戸岬での句です。二十四番札所最御崎寺から少し下ると灯台の上に出ます。柵があって、そこから先へは進めません。灯台の周囲に咲いている水仙を上から眺めるようになります。そのはるか先に太平洋の荒波が海岸線に砕ける姿が小さく見えます。一月とは思えない暖かい日でした。学生時代にヒッチハイクで四国一周をしましたが、その時に行き残した室戸岬への念願の旅が叶った、退職前の一日でした、、、。(2011年冬詠)

狐火の一つ煙草の火にしたし

面白いですね。歳時記にはこんなものまで季語として載っています。狐火、いわゆる火の玉です。見た事があるかと言うと、ありませんが、ちょっと強がってこんな句にしてみました。煙草は止めて二十年が過ぎました。そろそろ健康への影響が無くなった頃ですね、、、。(2014年冬詠)

枯芝にロダンの像と師と影と

大原美術館の分館前にあるロダンの「歩く人」です。この像に頭と手足を付けて完成したのが「説教する聖ヨハネ」とのことですが、以外と大きい。というかたくましい、、、。枯芝に日差しがあふれ、そこに句作に集中している我が師とロダンの像のそれぞれの影が、、、。(2013年冬詠)

軽トラに猪の転がる杣の道

句会への道すがら、ちょっと寄り道をしているうちに細い山道に入ってしまいました。その細い道路脇に寄せて止められた軽トラックが一台、人の気配は無く、前面には古びたシルバーマークがついています。何とか通れないことは無いかとスピードを落として、すれ違おうとして驚きました。荷台に転がっていたのは猪です。見間違いかと思い、バックして確かめましたが、確かに猪でした。それも巨大な、、、。(2014年冬詠)