青年の一人弓引く青葉冷

近くに作楽神社(さくらじんじゃ)がある。神社は明治時代に創建されたものだが、古くは児島高徳の故事で知られる院庄館跡である。時々思い立って出かける私の吟行地でもある。その神社の社務所の裏手に弓道場と言うにはお粗末な、広場の端に土塁を築いただけの弓の練習場がある。休日の早朝、境内を歩いていると、矢を放つ時の小気味良い音が聞こえてきた。見ると、一人の青年が袴姿で黙々と弓を引いている姿があった。他に人の姿は無く、たった一人で姿勢を正して弓を引くその姿は、矢の放たれる音と相まって、見ているだけで身が引締るように感じられる光景だった、、、。(2012年夏詠)

夏燕速度落とさず路地抜ける

いつもの通い道の、家一軒分を近道する路地です。路地を抜けると国道、すぐ目の前に信号があります。赤信号も燕には関係なく、路地に入った速度のそのままで、一気に国道を渡って行きます、、、。燕は好きな鳥の一つです。句にもなり安いので、やたらと同じような句を詠んでしまいます。そんな句の一つです、、、。(2003年夏詠)

樟若葉碑古りし陣屋跡

地元ではないこともあるし、住んでいながら知らないことが多い。だから地域の共同作業の時などに古老が話してくれる古い話には興味深く耳を傾ける。たいていが物知りが一人居て話すことを、他の数人が補足し、私のような他所から来たものが頷きながら聴く、というパターンで進んで行く。神社の狭い境内から見上げる楠木の若葉がまぶしい、、、。(2003年夏詠)

神主の白緒の雪駄夏きざす

神主を呼んで、そこらじゅうにある神棚の御幣を新しくしたり、祝詞をあげてもらうような行事があった。子どもの頃の記憶にあるだけで、母に言われて思い出したが、父が亡くなれば当然私に回ってくる訳で、私が神主の相手をすることになる。やって来た神主は私と同世代だろうか、挨拶もそこそこに羽織を脱ぎ、袴姿で準備に入った。御幣用に用意しておいた竹を切ったり、半紙を切ったりと汗をかきながらの作業が続く。その間に世間話が入る。「お父さんにはずい分お世話になりました」と神主、「そうですか」と私、から始まってひとしきり父との思い出話や地域の話が続いた。作業が一区切りつき話にもほんの少しの間が出来た。すると突然、「私の事、忘れられとるでしょうね。おわかりになりませんか?」と神主、「えっ?」「ほら、小学校で一年下で、中学校の時同じ部活でお世話になった○○です」私は思わず絶句し、目の前の現実としての神主と、まき戻した記憶とを整合させるのにはしばらく時間が必要だった。そうだ、彼は神主の家の息子だった。その彼が神主になっていても何の不思議もないのだった、、、。(2003年夏詠)

うす着して立夏の朝を楽しめり

「やっぱりまだ寒いね」なんて言いながら、その寒さを楽しんでいる。それも立夏ゆえだが、「今日から夏です」と喜んでいるのは、我々俳人だけでしょうか、、、。とは言うものの、今年はいつまでたっても寒い日がありますね。年齢のせいではないと思うのですが、、、。(2011年夏詠)

サラリーマン終へて三月の汗拭ふ

学生時代はラグビーで汗と泥と擦り傷にまみれた生活をしていたが、汗をかいて不快に思ったことは無かった。社会人になって冷房の効いた事務所で仕事をするようになると、普段汗をかくことは無くなったが、かくと不快感を覚えるようになった。さて、定年になって三ヶ月、久しぶりに鎌を持って流した汗には、少しだけ爽快感が戻っていた、、、。<俄仕事-6>(2012年春詠)

十薬の刈れば匂ひし手も鎌も

そのままの句です。どくだみと言えば匂いばかりが頭に浮びますが、十薬と言えば途端にありがたい薬草になってしまいますね。乾燥させたものをどくだみ茶として煎じて飲むと、確かに身体に良いように思います。続けると基礎的な体調管理が出来るのではないでしょうか。最初は飲みにくいですが、慣れると普通に飲めます。子どもが小さい頃には一家で飲んでいました。今は滅多に飲むことがありませんが、たまに飲むと懐かしい味に感じられます。刈ったときのあの匂いもまた、懐かしい匂いに感じられてしまいます、、、。<俄仕事-2>(2012年春詠)

億年のしずくとなりて滴れり

井倉洞吟行<その5>夏の季語になりましたが、ここにこれ以上の季語はないでしょう。鍾乳洞を見るたびに悠久の時を想います。一滴一滴の積み重ねが、やがて億年の時を経てこの鍾乳洞を造り上げ、さらにその滴りは未来へと繋がっていくのです。私が眺めているのは、その途方も無い時の流れのほんの一瞬なのだと、そんなことを想うのです。-続く-(2012年秋詠)