遠くより風の生まれて雪柳

プールへ行く途中の踏切の手前にしゃれた平屋のお家がある。ちょうど踏切に合わせてスピードを落としたところでよく見える。生垣の端に咲いている白い花は雪柳だろう、と思っていると奥まった玄関脇の大きな白木蓮が日に入る。おっ!と思った瞬間には車庫の傍の白椿が。その時にはもう前へ向き直る途中だったが、庭の奥のほうにも白い花が見えていた。あれも雪柳だったかなあ、と想いだしている、、、。(2013年春詠)

母となる強さほの見ゆ孕猫

お腹が地に着きそうになった雌猫がゆっくりと目の前を横断していった。まあ、あれだけお腹が大きければ、動きが緩慢になるのも無理はない、と納得の出来る歩き方だった。堂々として、少しばかり得意そうにも見えるのは、母となる者の強さゆえだろう、、、。(2013年春詠)

地下道に春の寒さの残りをり

岡山駅の東口から西口へ通じる地下道、階上に出来た連絡通路の華やかさと比べると寂しいが、懐かしさもあって時々通る。どこの地下道もそうだが、春になってもいつまでも寒さが残り、天井が低いせいかやたらと靴音が響く、、、。(2013年春詠)

花嵐そば屋の幟ちぎれさう

寒い日だったなあ、風が強くて。トイレ休憩に寄った道の駅の、脇にある小さな蕎麦屋の幟旗が、千切れそうに揺れていた。咲きかけた桜の若木が、その風に必死に耐えているように見えた。「がんばれ!」「散るなよ!」この時季に決まってある悪天候の一日、、、。(2013年春詠)

橋いくつくぐれば海や花筏

川があれば花びらが流れてくる。離れ離れだったり繋がったりと、形態は様ざまだが、花筏とはよく言ったものだと思う。掲句、岡山の西川緑道公園での句。西川緑道公園には橋が多い。流れも豊かだ。花筏も勢いよく流れていく、、、。(2013年春詠)

仕残して定年退職花菜風

河原から菜の花の種を採ってきて、自宅裏の土手に蒔いておいたら、数年で土手一面を覆うようになってしまった。まさに一面の菜の花で、しばらくは鮮やかな黄色とむせるような香りにつつまれた日々となる。その後はどうなるか、と言うと菜の花は咲きながら成長し、種が熟れる頃には持て余す大きさになってしまう。強い、、、。(2012年春詠)

確かむる風の方角初つばめ

帰る鳥もあれば来る鳥もある。去年の俳句手帖を見ると、三月二十七日に初燕の記録がある。昔より早くなっているような気がするが、俳句を始めるまでは初燕なんて意識したことは無かったのだから、何とも言えないことではある、、、。(2011年春詠)

反古焚きのけむり真つ直鳥帰る

鳥たちが北へ帰るのはいつも突然で、気がつけば姿がなくなっている。この時も気づいたのは夕方、土手の上から見下ろす川面に、昨日まで居た鴨の群れはなかった。広い田圃の向うに、反故焚きの小さな火が見え、夕暮れの空へ煙が上っていた、、、。(2003年春詠)