湖の海にはあらず蝌蚪の紐

苫田ダムのダム湖が奥津湖である。その奥津湖を見下ろす位置に「みずの郷奥津湖」がある。本当は海が見たいのだが叶わないので、時々出かけてはここから湖を見て帰って来る。気が向けばそこから湖畔まで続く遊歩道を歩く。これからの季節は間近に鶯の声が聞こえ、私の好きな朴の花も多い。遊歩道を下りていくと、かつては田圃であったと思われる湿地や水路の跡が残り、なだらかに湖の底へと続いているのが見える。その先を辿れば、かつて通った国道や家並の風景が眠っているのである、、、。(2013年春詠)

チューリップ家庭訪問待つ庭に

家庭訪問は好きでした。たぶん、その期間は学校が早く終わるからかも知れませんね。掲句は初心の頃の句です。チューリップがきれいに咲いて、家庭訪問の日まで何とかもって欲しいと思っていましたが、結果は、、、。(1998年春詠)

車夫一人弁当使ふ柳の芽

倉敷美観地区でお馴染みの人力車の車夫が、河畔の柳の木の下に座って一人で弁当を食べていた。普段は観光客の呼び込みに余念がない車夫だが、この時ばかりは静かに自分の世界に入っているように見えた。風に揺れる芽柳の薄緑が若い車夫に似合っていた、、、。(2009年春詠)

天の日を受くる形に紫木蓮

暖かくなったと思ったら、途端にあれもこれもと咲き出し、気が付けばもう木蓮の季節になっている。白木蓮も好きだが、紫木蓮の微妙なグラデーションも良い。咲く前の莟は、いかにも「お願い、もっと光を!」と言うふうな形に見えるが、咲ききってしまえば、「もう満腹、疲れましたあ~」とばかりに頽れてしまう、、、。(2012年春詠)

囀と言ふ静けさのありにけり

私の実家は滅多に車の通らないような山の中にあります。だから雑音がありません。鳥の囀りもとてつもない静けさの中から聞こえてきます。この静けさが好きで、たまに帰ると一人で耳を澄ませます。その静けさの中で暮らしている人にとっては何でもないことで、私が「静かだなあ」と言うと決まって怪訝そうな顔をします。もっともな事で、あちこちから囀りが聞こえる中で静かと言う、私のほうがおかしいのでしょう、、、。(2013年春詠)

落花舞ふ保母は園児に追ひつけず

吟行をしていると園児達を連れた保母さんによく会う。いつも大変だろうなあと思いながら見ている。先月の吉備路吟行でも一団を見かけた。ちょうど五重塔の下のトイレに入っている時に、外を通っていく声がした。「観光客の方がいらっしゃいますからね、ちゃんと挨拶してくださいね」「はあい」「はあい」・・・。私がトイレから出た時には一団はすでに山門のほうに向かっていたが、観光客が挨拶攻めにあっていた、、、。掲句は岡山西川緑道公園で見たグラウンド風景(2013年春詠)

千光寺石の狸の花まみれ

津山市城東の町並保存地区の二つほど裏通りの山沿いに千光寺はある。樹齢百五十年という大きな枝垂桜があり、近年は度々テレビで放映されたりして、満開の頃には人足が耐えない。そんな桜も満開を過ぎると途端に人足は遠のき、しだいに木の下の石の狸が寂しそうに見えてくるが、そんな頃のほうが好きなのは私ぐらいのものだろうか、、、。(2013年春詠)

給水車休ませてゐる花の下

吉井川の支流の小さな川沿いに桜並木がある。どこにでもある桜並木で今時めずらしくも無く、まして平日ともなれば、満開の花の下にも人影は無い。ちょうど昼時だったか、通りがかるとその花の下に給水車が一台止まっていた。オレンジ色の給水車が不思議と満開の桜に合い、花の下で昼寝でもしているように見えた。しばらくして用事を済ませて再び通りかかると、給水車は二台に増えていた、、、。(2013年春詠)

学校のチャイム遠くに風光る

そろそろ学校が始まります。私が住んでいる所は学区の外れなので、校庭の声までは聞こえませんが、チャイムの音なら風向きによっては聞こえてきます。ホントに遠くの小さな音です、、、。私の通った小学校は古い木造で、屋根の上にはチャイムではなくサイレンがありました。サイレンは朝昼晩の三回、大きな音で地区中にも時刻を告げていました。2キロメートルほど離れた私の実家でも聞こえるような音でした。たまたま帰省して、父から廃校になることを聞かされている時に、合わせたように昼のサイレンが聞こえてきたことがあります。花冷の頃でした、、、。(2013年春詠)