一面のたんぽぽ白に黄に白に

タンポポには白と黄があって、背の高さもいろいろです。調べてみると在来種と外来種があって、外来種は黄色、在来種には白色と黄色があるようなことが書かれています。さらにそれが雑種になって、と複雑なようなのでそれ以上は調べませんでした、、、。掲句、我家の裏の土手に咲いたタンポポ、こちらは明らかに交配が進んでいるようです、、、。(2012年春詠)

休田に水音少し根白草

泳いだ後にジャグジーで寛いでいると、二歳ぐらいの男の子と、赤ん坊を抱いた若いお母さんが入ってきた。赤ん坊は水玉模様の水着を着せられているから女の子だろう。プールの貸し出し用のキャップで隠れそうな頭が何だか頼りない。「どれくらいになるの?」「4ヶ月半です。今日がプールのデビューなんですよ」「これぐらいから慣らすといいだろうね」「そうなんです。お兄ちゃんの時は大変でした」と言うそのお兄ちゃんも、まだキャップにジャグジーの泡を溜めて遊んでいるぐらいなんだが、、、。(2014年春詠)

春雪や汽笛短き朝の汽車

さすがにもう降ることはないだろうとは思うのですが、天気予報では週明けからまた寒くなるそうなので、今年のお別れに春雪の句を書いて予約しておきます(3月18日)。当たるも天気予報、当たらぬも天気予報、、、。(2014年春詠)

秋に見し絵描またゐる山笑ふ

国道313号線の多和山トンネルを抜けて高梁側に下りると、吉備高原の端になるのだろう、急に切り立った山が迫って来る。やっと帰ってきたと故郷を意識するのがこの辺りで、春夏秋冬絵になる風景を見せてくれる。前年の秋に道端でその山に向かって絵を描いている初老の方を見かけ、一旦車を止めたが、邪魔をしてはと思い直してその場を後にしたことがあった。山に向かって絵を描く男のいるその風景がまた一枚の絵のようで心に残った。で、そんな事は忘れて次の春に通りかかったのだが、また同じ所で同じ方が、、、。(2014年春詠)

雲の影大きく舐めて春の山

これは吉備路、足守から総社へ裏道を走りながら見た鬼ノ城の辺りを動いていく大きな雲の影。山もゆったりとした山容を見せている。県北の中国山地の山並や、高梁あたりのカルスト台地の侵食された切り立った山では、こうは見えない、、、。(2014年春詠)

いにしへを想ひしをれば蝶よぎる

備中国分寺の山門から少し下ったところに梅園がある。名所旧跡に限ったことではないが、今はこうだが昔はどうだったのだろうかと、古い時代を想像してみると楽しい。例えば備中国分寺であれば、その周囲の道の様子であるとか、民家の数であるとか、行き来する人の数とか。簡単に言えばよくある何々寺縁起というような絵巻物のような世界を、現在の風景を眺めながら想像してみる。満開の梅園でそんなことをしていたら、突然湧いたように目の前を蝶が過ぎて行った。おっとっと、俳句を詠まなければ句会に間に合わないぞ、と、、、。(2014年春詠)

一息に塔の上より恋雀

備中国分寺の五重塔。人間の登ってこない塔の上は雀にとっては格好の生活の場なのでしょう、普段でも枯草のような物を咥えて上の階へ上の階へと登っていく姿を目にします。そして繁殖期、二羽がもつれるようにして落ちてきます。アレアレと思う間もなく、地上の手前で、何事も無かったように二手に分かれて飛んでいくのです、、、。同じような光景を奈良の薬師寺でも見た記憶があります、、、。(2014年春詠)

春昼のたつぷりと水使ふ音

近所から聞こえてきた音。蛇口から勢いよくバケツの底を打ち、その勢いのままに音の高さが低く変化し、溢れる寸前のところで蛇口がしまる。ほんの少し間が空き、その水を勢いよく丸ごと何かにかけるような音。少し間が空きバケツを置く音、また蛇口から勢いよく水が、、、。と、それが何度も繰り返される。まったく声は聞こえない。わざわざ見にも行けないのだが、その水の使いっぷりが何とも気持ち良く聞こえてくるのだった、、、。(2013年春詠)