誰も居ぬ夜の会議室室の花

さあ、そろそろ戸締りをして帰ろうかと、一人取り残された会社の廊下へ出た。ドアの開いた会議室の前を通ると佳い香りがしてきたので覗いてみると、明かりが消えた部屋の窓際に花が飾られていた。その一角が、カーテン越しに入るわずかな外光を背に、妙に近寄りがたい厳かな雰囲気を漂わせていて、覗いた瞬間に心臓が止まるほどドキッとした、、、。(2010年冬詠)

一瓶の水仙近き句座の席

なぜだか倉敷公民館の、誰でも入れる小さな談話室での句会だった。テーブルも高さが違うものが二つ、ぎりぎり人数分の椅子があった。入口側のテーブルの一番入口側の席に座ると、ちょうど目の前に花瓶に入れられた水仙があった、、、。(2011年春詠)

舞ふ雪の風に礫となる夕べ

立春とともにやってきた寒波で今日(五日)は朝から雪でした。落ちては融ける、明るくも寂しい雪です、、、。掲句は昨年の雪、雪ぐらいと油断して傘を持たずに出た夕方の散歩、途中から五百円玉ほどもあるような牡丹雪に変ってしまいました。おまけに風、こうなると大変なんです。眼鏡に頬に、容赦なくぶつかって来ます。痛いというか冷たいというか、、、。(2013年春詠)

節分や吹きつさらしの刃物砥

今週はまた真冬の寒さが戻ってくるとかで、そう簡単には春はやって来ないようだ。掲句の年の節分は寒風吹きすさぶ寒い日だった。近くのショッピングセンターの前にテントを張り、いつもの刃物砥が来ていた。包丁、鎌、農具等々、所狭しと並べられた商品の奥にグラインダーを置いて、年老いた男が包丁を砥いでいる姿はいかにも寒そうだった、、、。中学生の頃だったか、大きな自転車の後に砥石やもろもろの道具を載せて家々を回る刃物砥を何度か見たことがある。やはり(中学生の目から見ればかも知れないが)老人で、自転車のハンドルには足に紐を付けたペットのカラスを止まらせていた。なぜかその刃物砥とカラスの組み合わせが、絶妙に感じられたものだった、、、。(2012年冬詠)

赤屋根の蒲鉾牛舎冬鳶

出張で大阪へ向けて中国道を走っている途中、播州平野に差し掛かった辺りで、遠くに赤い蒲鉾型の数棟の建物が見えた。そのはるか上空には鳶の姿があった。脇見運転をしていた訳ではなく、どちらも遠くの、ほんの僅かな時間の映像ですので、ほんとに牛舎(?)と言われると返す言葉はありませんです、、、。(2000年冬詠)

窯出しや乾ききつたる炭の音

遠い記憶の中にいくつか、祖父の炭焼の場面がありますが、その中の一つが窯出しの場面です。真っ赤に燃えていた炭窯の焚き口に、練った赤土を塗って火を止めます。それから何日後だったでしょうか、窯出しが始まります。窯に入るとまだ暑いぐらいの熱が残っています。その暗がりの中に長さ1メートルほどの焼きあがった炭が整然と並んで立っています。それを壊さないように一本ずつ運び出すのですが、完全に水分の抜けた炭は結構硬く、炭同士が触れるとなんともやさしい金属音がするのです、、、。(2001年冬詠)

初はやて自転車の子等前傾す

昨日も今日も俳句を始めた頃の句、見るものすべてが新鮮で駄句をたくさん詠んでいた。掲句、突然吹いて来た風に、自転車通学の男の子たちが一斉に前傾するのを見た時の句です。今となっては「初はやて」は疑問ですが、まあ良しとしましょう、、、。(1998年冬詠)

見上げれば冬の空ある会議室

工業団地の一角にある勤務先から道を隔てた用地は、入る会社が無くてずいぶん長い間空地のままだった。そちらに面した会議室からは遠くまで見渡せ、四季折々の空が眺められた。会議も丁々発止と議論を戦わすような会議は面白いが、窓を背に陣取った気に食わない上司の一方的な話を聞くだけのような会議も多かった。そういう会議の時は、聴いているような顔をして上司のほうを見つつ、退屈すると視線を少しだけ上げる。するとそこには四季折々の空があるのだった、、、。やがてこの空地にも会社が入り、出来たのは鉄工所で、平屋だがとてつもなく屋根が高い建物だった。おかげで会議室からの眺めは完全に遮られ、私の密かな楽しみは奪われてしまった、、、。(1997年冬詠)