後楽園の芝焼きであったり、若草山の山焼きであったり、いかにも春を迎えるのにふさわしい行事という感じがして、テレビでの報道を見る度に一度間近で見てみたいものです。こういう時にかり出されるのが消防団員ですが、火事ではないので余裕が見受けられますね、、、。近所の河原や土手が時々燃えることがありますが、これは煙草の火の不始末であったり、焚火の火が移ったりで、これはいただけません、、、。(2010年春詠)
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スニーカー中に豆有り春立つ日
いたって初心の頃の句、まだ子どもも小さく、節分の豆まきに抵抗がなかった頃。句の良し悪しは別として、いつも新鮮な感覚で詠んでいた頃。懐かしいね、、、。(1998年春詠)
グラタンの熱きを吹いて春終へる
今日で春も終わりか、と。俳人になるまでは、春に終わりの日があるなんて思いもしなかった。春も夏もいつの間にか来て、いつの間にか去っていった。今は、明日からの夏に備えて、新しい俳句手帖に名前を書き込み、季寄せをパラパラとめくって見る。そういえば最近このような食べ物が食卓に登ることが無くなったなあ。(1998年春詠)
丹田に力こめても目借時
はい、どうやっても眠いときがあります、、、。(2009年春詠)
行く春の潮目に白き波頭
また続きです。句会では初めてMさんにお会いしました。Mさんの句はいつも拝見しながら、どんな方だろうと思っていました。正直なところ、少し気難しい方かなと思っていたのですが、そうではありませんでした。やさしそうな年配の方でした。Mさんのコーヒー、Kさんの柏餅、そしてH女史の御薄と、いたれりつくせりの句会ではありました。満腹、いや満足して帰途につくことができました。作者はどんな方だろうと、想像しながら鑑賞するのも俳句の楽しみの一つですね。(2012年春詠)
鶯や眼下に光る瀬戸の海
昨日の続きです。(2012年春詠)
のどけしや名物婆が干物売る
触れし木に命の温み木の芽風
裏の柿の木が芽吹き始めました。この木も家族と一緒に借家の庭から引っ越してきたものです。植えた位置が悪く、大きくなるに連れいつも同じ辺りに触れるようになりました。いつの間にかその部分の表面が滑らかになり、何とも触り心地が良いのです。そんな柿の木に触りながら枝を見上げていると、ふと命というものを感じるのです。(2012年春詠)
洗濯の終る音して春の月
電子音のするもの、洗濯機、冷蔵庫、湯沸しポット、炊飯器、体重計、、、、。先日も突然鳴り出したピーピーという警戒音に、二人して探し回ったが、とうとう何の音だか分からずじまいになってしまった。結果として何事も起こらなかったので良しとした。この洗濯機は二十年物で、たえずガタガタと大きな音をさせながら働いているが、終ったときには優しい静かな音がする。早く言えば、間延びした一時代前のデジタル音ということだが。(2011年春詠)
惜春や熱きシャワーを満面に
若かったね、と自分に対して思う。歳をとるなんて事は考えてもみなかった。サッと泳いで、サッとシャワーを浴びて、サッと帰っていたのは当時の事。今はゆっくり泳いで、ゆっくりジャグジーにつかり、ゆっくりシャワーを浴びて、ついでにシャンプーまでして、体重と血圧を測って帰る。とにかくクールダウンは重要で、熱きシャワーなんて持っての他なのである。(1998年春詠)
