手帳を片手に、なにやら難しそうな顔をして、上のほうばかり見ている。時折独り言をつぶやき、手帳になにやら書きとめている。こういう人はたいてい俳人です。(2011年秋詠)
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大根蒔く話も出でし集会所
俗に「津山時間」あるいは「作州時間」と呼ばれるものがある。なんてことはない、ようするに時間にルーズで、決められた集合時間は、その時間までに集まるのではなく、その時間から集まり始めるというぐらいに考えておいたほうが良い、と言うのが津山時間である。今はだいぶ良くなったが昔はひどかった。だから役員会でも寄り合いでも、本題に入るまでがやたらと長く、近況の確認から始まり、近所の誰某の噂話、やがて種まきの話なども出てくるのである。歳時記によると、大根は二百十日前後に蒔くそうだ。(1998年秋詠)
一村を覆ひて余るいわし雲
散歩に出て吉井川の土手への坂道を少し登ると、ちょうど空を眺めるのに良い場所へ出る。秋には見える限りの空を覆うような鰯雲に出会うことがある。吉井川を越え、となり村も越え、次第に小さくなって西の彼方へ消えて行く。西の彼方には我が故郷があると思うと、感傷的な気分にもなる。(2008年秋詠)
南洋にある台風の端の風
日差の暑さはなかなか収まらないが、吹く風には明らかに秋が感じられる。その風も、南洋に生れた台風の渦巻きの端っこの風なのかと思うと、少しだけロマンを感じる。なんてことを言うと、台風の通り道にお住まいの方に叱られるだろうか。(2012年秋詠)
猪垣をまたいで山の人となる
村中を囲むように延々とトタン板の猪垣がめぐらせてある。私が子どもの頃も猪の被害はあったが、今のように猪が民家の傍にまで出てくることはなかった。人が減り、捨て畑や休耕田が増える事で人間のテリトリーが狭まって行き、ついには自ら垣の中で暮すことになってしまった。その一因はお前にもあるのだと、白く光る猪垣は私の行手を阻んでいるように見えた。(2009年秋詠)
稲育つ校長室の水盤に
木造校舎の正面玄関を入ると、右に校長室、左に職員室があった。職員室には度々入ったが、校長室には六年間の小学校生活を通じてほとんど入った記憶がない。ただ黒光りのする広い部屋で、机の上の四角形の水盤に、整然と稲が育っていたことだけを覚えている。稲は田圃で育つものと思っていたので印象深かったのだろう。校長先生はある日の朝礼で、人間には「馬鹿馬鹿」(馬鹿そうに見えて馬鹿)「馬鹿利口」(馬鹿そうに見えて利口)「利口馬鹿」(利口そうに見えて馬鹿)「利口利口」(利口そうに見えて利口)の四種類がある。一番悪いのは「利口馬鹿」だ、「利口馬鹿」にはなるな、と言われた。(2009年秋詠)
離陸機の大円描く秋天に
中国自動車道からは伊丹空港から離陸し、旋回して飛び去って行く飛行機が見えます。中国自動車道に限ったことではありませんが、離陸した飛行機が飛び去って行く姿には旅心を誘われます。まして、出張帰りの車中で、機体の背景が秋の夕空ならなおさらです。(1998年秋詠)
工場の鉄の戸開く秋の野へ
コンピューターの道に足を踏み込んだのは今から二十五年ほど前になります。仕事柄休日に出て一人で作業することが増えましたが、苦にはなりませんでした。むしろ集中して思考の世界に浸れましたので、充実感で一杯でした。やっと一区切りついて、工場の重い鉄扉を押し開くと、そこには急に明るいグランドが広がっていました。(1998年秋詠)
こほろぎや事務所にもある虫の道
会社の築四十年にならんとする社屋は、増築と改築で何が何だか分からないように入り組んだ古い建物でした。あちこちに隙間が出来、事務所で使っていた場所にも床と壁の接点に小さな穴がありました。なぜか毎年その穴からこおろぎが現れ、事務所を横切ってはまた別の穴に消えて行くのです。昆虫だから毎年違う虫と思いますが、同じように、、、。(2008年秋詠)
出来うれば銀河の下に眠りたし
学生時代には夏になると旅に出ました。泊まるところといえば、良くてユースホステル、駅、テント、最悪が野宿でした。自転車で山陰を周ったときに松江の近くで野宿しました。資材置場のようなところでしたが、満天の星空で、銀河がきれいでした。野宿も慣れればどうってことはないのですが、今出来るかというとたぶん無理です。一睡も出来ずに夜を明かすことになるでしょうね。(2008年秋詠)