如月の田に積まれたる肥袋

さあ始めるぞ、と言った存在感で田の片隅にビニール袋に入った肥料が積み上げられている。少しずつ季節が進むように、農作業も少しずつ進んで行く。冬の間に一度起こされた田はもう緑がかって見えている。次はこの肥料を撒いて、その後をもう一度耕すのだろう、と素人考えで想像しながら通りすぎる、、、。(2015年春詠)

春炬燵眠ればあの世近くなる

何となく出られないでテレビを見ているうちにいつの間にかうとうとしてしまう。テレビの音に気がつけばもう何十分かが経過して、見ていたシーンとつじつまが合わなくなっている。ああしまった、面白そうだったのに惜しい事をした。必要のない時に眠るのは、そのぶん生きている時間が短くなるのだから、考えてみれば勿体ない話だ。なんて野暮な事を考えながら、再びあの世のような時間に入って行くのでありました。日本に生まれて良かった、、、。(2015年春詠)

囀の上に囀ある大樹

暖かくなると何となく心が緩んでくるのは鳥も同じようですね。寒い間は弱い鳥を追っ払っていた強い鳥が知らん顔をしています。上下に分かれてはいますが違う種類の鳥が同じ樹の上で囀っている姿が見られるようになります。春は楽しいですね、、、。(2015年春詠)

二ン月の狐鳴きつつ夜を駆くる

春先だから交尾期の行動だと思うのですが、移動しながら鳴く狐の声がする夜があります。それも相当広い範囲を瞬時に移動しながら鳴いているように聞こえる、ちょっと不思議な不気味な感じの鳴き方なのです。たぶん昔の人はこんなところから狐は人を騙すなんて事を考えたのではないかと思います。近くに神社があり、実際に狐が住んでいますが、まだ騙された事はありません、、、。(2015年春詠)

格子戸の内なる仏春ともし

時々寄るお寺に、久米南町の誕生寺があります。その昔教科書でも習った法然上人の生誕地です。その本堂の左に観音堂があります。小さなお堂です。改まる必要が無く、格子戸越しに近くで拝観出来るので好きな仏様です。何より御顔がやさしい、、、。(2015年春詠)

裸押し一升枡に人一人

と、言われている事そのままを句にしてみました。今日が西大寺の会陽です。あいにくの天気予報ですが、夜だけでも晴れればよいですね。実際にあの本堂の床に上がると(何もない時です)「一升枡に人一人」が実感できます。それぐらい狭い空間です。会陽が終わるといよいよ春ですね、、、。(2015年春詠)

研ぎ上げし刺身包丁鰆東風

魚偏に春で鰆、木偏に春で椿、別の句ですが昨年春の倉敷の句会で、自分では鰆と書いたつもりが椿と書いて出句していた事がありました。その前にきれいな椿を見ながら、木偏に春で椿、魚偏に春て鰆か、上手く出来てるなあ、と考えながら推敲していたのは確かですが、でも、何で?まさかだんだんこういう事が増えてくるのでは、、、。(2015年春詠)

天国と地獄ぽてりと椿落つ

椿の種類もずいぶん増えましたね。昔は椿と言えば藪に生えている赤い花を思っていました。「赤い椿白い椿と落ちにけり」 と河東碧梧桐の句がありますが、白は数も少なく珍しかったと思います。我が家のピンクの椿も、植えた当時は珍しいと言われて得意だったものですが、今ではごく普通に見られる椿になってしまいました。掲句はそのごく普通の我が家の椿、今年もたくさん花を付けました、、、。(2015年春詠)

上ばかり見て春塵に見舞はれし

佳い句が出来ないのは下ばかり見ているからかも知れないと、上を見ながら歩いていたらたちまち目の中にごみが入ってしまいました。苦し紛れにこんな句を詠んでみましたが、何事もほどほどにしないといけませんね。これも西川緑道公園での句です。埃っぽい季節になりました、、、。(2015年春詠)

競走馬運ぶ車や風光る

競走馬を運ぶ自動車は馬運車(通称馬バス)と言うそうです。掲句の馬バスは国道53号線で見かけた馬バスです。ちょうど小さなコミュニティバスほどの大きさ、高い位置に小さな窓が付いています。色は薄いブルー系のいたって地味な色でした。馬匹の文字でそれと分かるだけで中は見えませんが、もしかしたら優秀なサラブレッドが運ばれているのかも知れないと、たてがみを靡かせて風の中を走る姿を想ったりしたのです、、、。(2015年春詠)