鬱といふ読めて書けぬ字栗の花

とあるところに漢字の話題があったのでこの句を書きました。昔から読めても書けない漢字が多く、パソコンの恩恵にあずかっている一人です。俳句もパソコンからスタートしましたので、いきなりパソコンで作ることも多いのですが、掲句のような難しい漢字を使った句もなんなく出来てしまいます。場合によってはこのままパソコンから投句可能な場合もありますので、なんとも便利な世の中です、、、。句会になるとこうは行きません、、、。(2012年夏詠)

昼灯す観光バスや梅雨曇

会社の用水路を隔てた横を中国自動車道が通っていた。自動車道は少し高い位置にあるが、防音壁も無く、植栽越しに走って行く車が見えた。特に背が高いトラックや観光バスはよく見えた。見ようとして見るわけではないが、休憩時間に外に出て自然を眺めると、必然的にそれらの車が眼に入るのだった。どんよりとした梅雨曇の空の下を、何台もの観光バスが室内灯を灯して通って行った。普段は目立たないバスが、室内灯のせいで華やいで見えた。バス旅行もいいなあと思いつつも、せっかくの旅行なのにこの天気ではなあと思うのだった。天気予報は雨、、、。(2003年夏詠)

シニアカ-ゲ-トボ-ルへ青田道

比較的初期に詠んだ句。早朝の青田道を一台のシニアカーが、スポーツ用品のカタログにあるような洒落たハットに、一目でそれと分かるスティックを積み、ゆっくり、ゆっくりと進んで行った、、、。この句を詠んだ当時は、今日の自分、即ち60歳を過ぎた自分の姿なんて、想像出来なかったが、なってみればどうという事も無く、こうしてパソコンに向かっている日々がある、、、。ところがである、同じ会社の同年代の元同僚に聞けば、すでに老人クラブからお誘いがあったらしい、、、。(2000年夏詠)

筒抜けにラジオ鳴らして三尺寝

通りがかりの新築現場での句です。ここに限らず、一人仕事の多い大工さんは、ラジオを友とされていることが多いですね。昼食後のつかの間をラジオを聞きながら三尺寝、不思議と時間が来ると眼を覚まし、、、。(2002年夏詠)

一両の電車植田に映り行く

長法寺からさらに数十メートル登ったところに多宝塔があり、広く市街から郊外の田園地帯までが見渡せる。住宅地も増えてはいるが、まだまだ水田も多く、その間を津山線の単線の線路が岡山へと延びている。ちょうどこの時季には、田植が終ったばかりの田んぼに、走って行く電車が空と一緒に映って見える。たいていが一両か二両で、スピードの遅い電車は、なんとものんびりした風景を見せてくれる、、、。(2010年夏詠)

ラジオよりナイター流る紙器工場

通勤途上に倉庫を改造したような小さな紙器工場があった。時々朝早くから親会社のトラックが止まり、裁断したダンボールの束を降ろしているのを眼にしたが、従業員はいつも同じ人を一人見るだけで、他に人声がすることもなかった。裁断されたダンボールを箱に加工するのが仕事らしく、通る度にいつも古びたプレス機の音が単調にカタコンカタコン続いていた。冷房が無いのか夏には窓が開き、夕刻に通りかかるとラジオから、ナイター中継のアナウンサーの興奮した早口の声が、プレス機より大きな音で聞こえて来るのだった、、、。(2000年夏詠)

ががんぼの繋がつて飛ぶ日暮かな

大蚊と書くぐらいだから蚊の仲間なのでしょう。かといって人を刺す訳ではなく、触ればすぐに足が取れてしまう、いたって貧弱な、存在すらあやふやなような虫。そんなががんぼが、暮れ残る明るさの中を繋がって漂っていた(飛んでいたと言うより漂っていた)、、、。(2000年夏詠)

夏祭赤透き通るニッキ水

祭の屋台に並ぶひょうたん型のビンに入った鮮やかな色のニッキ水は、今となればどう見ても健康的だったとは思えませんが、何といわれようと子どもの頃は好きでしたね。今でも時々見かけますが、たぶん中身は成分も味も違っているのでしょう。ビンの形も昔はもう少しリアルなひょうたん型だったような気がします、、、。(2000年夏詠)