犬の鼻触れて落蝉生き返る

散歩していると落蝉に出会う。落ちたときのひっくり返った姿のままで力尽き、やがて静かに死を迎えるのだろう。そんなところに犬の鼻が近づいて来るものだから、蝉はおちおち死んでも居られない。息を吹き返した蝉はジジジジと激しく鳴きながら、またどこかへ飛んでいった。(2010年秋詠)

堰二つ水音二つ青田風

いつもの散歩コース、田圃の真中をまっすぐに広い道が走っている。その道に沿うように、これも大きめの用水路がある。用水路にはそれぞれの田圃の水口に堰が設けてあり、板を差し込んで水量を調節するようになっている。田植の頃には激しい音をたてていた堰も、青田の頃になると必要な水量も少なくなるのだろう、どの堰も落ち着いた軽やかな音をたてている。(2010年夏詠)

女郎蜘蛛しつかと空をつかみけり

竹竿の先に細い竹で団扇ぐらいの輪を作り、それに蜘蛛の巣をぐるぐると巻きつける。これで高いところの蝉を採るのですが、蜘蛛の巣の中でも女郎蜘蛛の巣が、強さでも粘着力でも一番良かった。そんな訳で、女郎蜘蛛には親しみを感じるのです。大きな体の鮮やかな黒と黄の縞模様で、頭を下に空中をしっかりと掴んだ姿は、風格すら漂わせているように感じられます。(2010年夏詠)

蚊を打つて右手左手すれ違ふ

なんと悲しいことよ。蚊を打とうとすれば、右手と左手が合わない。これが老いるということなのか。もっとも、昔に比べると味が悪くなったのか、蚊に食われることも少なくなった。多少のところなら虫除けスプレーもいらない、便利な身体になっちゃった。(2010年夏詠)

雨音の鈴鳴るごとし植田道

雨の畦道を歩くと、植田に降り続く雨が、まるで鈴の鳴るようにチリチリと音を立てる。育ち始めた苗の周りに、水音の数の水輪が出来て、水音の速さで次の水輪に消されていく。苗は時たまぶつかる雨粒に葉先をゆらしながら、整然と並んでいる。心地よさそうに見える。(2010年夏詠)

七人に傘の七色七変化

津山の紫陽花寺、長法寺吟行での句。あの時は皆様遠いところをお疲れさまでした。俳人の味方、雨の吟行でしたね。あれから毎年出かけていますが、今年も16日、雨の中を行って来ましたよ。まだ少し早いように思いましたが、おりしも紫陽花まつりの初日で、次々に人がみえていました。その時の写真を一枚、参道の突き当たり、薄田泣菫の碑があるところの紫陽花です。(2010年夏詠)

牛鳴いて植田の空の光り初む

日本で一番美しいのがこの季節ではなかろうか。前日に代掻きの終った朝の代田に映る空や山や家々の風景。そして田植が終わり植田となって数日間の田に朝の光が射し始める時の風景。これに勝るものは無いのではないだろうかと思う。今がその時。(2010年夏詠)

睡蓮の下は林のごときかな

群生した睡蓮の下はどうなっているのだろうか。地上の林のように茎が林立し、葉の間から日差しが漏れて来るのだろうか。我々が林の中を歩く時のように、魚たちは頭上の光を感じながら、茎の間をさまよっているのだろうか。(2010年夏詠)