老釣師ゐねむることも小六月

例の老釣師、今年は元気で、11月に入ってから連日のように川向こうに姿がある。残念ながら川向こうなので声もかけられず、岩のように動かないその姿に遠くから会釈だけして通り過ぎる。狙いはもちろん大鯉だろう。昨年は「鯉は11月に入ってから」と言いながら、11月に入るとさっぱり姿を見る事がなくなり、心配しながらの掲句になってしまったのだった、、、。(2014年冬詠)

獣道烏瓜にて行き止る

整備された河川敷公園と吉井川の岸辺との間にさらに茂みがあり、草や木が茂っています。もちろん公園が出来た時にはここもきれいだったのですが、どんどん木や草が大きくなり、今では人間が踏み込むには茂りすぎた状態です。そんな所にある日突然出来た獣道、水辺までちょうどトンネルのような感じで草を分けて続いている。その向こうに水面と、上の木の枝からさがった熟れた烏瓜が見える。たぶんヌートリアの専用道路でしょう、、、。(2014年秋詠)

かいつぶり水の中にもある日暮

散歩コースの吉井川にも鴨が増えてきました。河川敷の公園に上がって集団で休んでいたりしますが、まだ警戒心が強いようです。土手の上の道を通っているので距離はずいぶんあるのですが、いつでも飛びたてるように全員が水面のほうを向いて、こちらが通り過ぎるのを待っています。もちろん、できるだけ刺激しないように知らん顔でいるのですが、、、。掲句はカイツブリ、鴨よりも小型でよく潜ります。鴨は草食ですがカイツブリは肉食の鳥です。水の中で餌を追いかけている姿を想像していたら、ふと日暮を想ってしまいました、、、。(2014年冬詠)

石蕗の花そこに日差のあるやうに

石蕗の花は俳句では冬に分類されていますが、実際は9月の終わり頃には咲き始めるようです。今年は国勢調査の用紙を配布に行ったお宅の庭先で見たのが最初です。ですから9月26日と言う事になります、、、。掲句は散歩で通る土手の桜並木の、木の根元に咲く石蕗の花です。どなたが植えられたのか、枯草の中で、そこだけ輝いているように見えます、、、。(2014年秋詠)

老人の歩幅小さく冬に入る

冬です。寒さで歩幅もついつい小さくなりがちですが、気をつけましょう。ほんの少し意識して歩幅を広くするだけで運動になるようですよ。しっかり手を振れば速度も上がります。これももちろん良い運動になります。何事も継続です。俳句も、、、。(2014年冬詠)

静けさや帰燕の後の無人駅

ちょっと寄道をして、津山線の無人駅に寄った時の句。夏にも寄った。その時は、どこの駅もそうだが、燕の巣があり、親燕が戻ってくる度に餌をねだる雛たちの声が賑やかだった。掃除をされる方の、何とか燕に出て行ってもらいたいという努力の跡が見られたが、負けてはいられない燕のほうが強かったようで、雛の数×巣の数=声の数で賑わっていた。それが、晩秋に寄ったこの時は、まるで音が無いのだった、、、。(2013年秋詠)

紅葉づるや天使の像にからむ蔦

蔦は四季それぞれに風情があって嫌いではありませんが、自分で育てると不都合な事があります。その一番はくっついた所に根を張ることです。安普請のマイホームの壁に這わせて苦労したことがあります。美観地区のアイビースクエアやエルグレコの喫茶店のように、それがシンボルとなれば話は別ですが、ちょっと壁に蔦をという一時的な興味で手を出すのは止めましょう。掲句はそんな複雑な心で詠んだ句です、、、。(2014年秋詠)

金風や梁に逆さの千社札

ついでに古い句です。千社札、貼るところを実際に見てみたいと思うのですが、いまだに行き当たったことがありません。長い竿の先で、糊をつけた札を器用に操って貼るのでしょう。目立つようで目立たない、古くなって柱や梁と同化したような千社札を見ると、いつごろの物なのだろうと想像が膨らみます。そんな中にある日、真新しい札が増えている!それも逆さまに、、、。(2001年秋詠)

明るさに音たてて干す小豆かな

これも古い句です。帰省すると庭で母が小豆を干していた。広げたシートの上で笊にまだ収穫したばかりの小豆を入れ、手でかき混ぜては混じっている葉っぱやごみを取り除いている。山間にある実家は朝日が差すのは遅いし日暮は早い。特にこれからの季節は朝は霧に覆われることが多く、朝から日差のある日は貴重になってくる。小豆も母もそんな日差を満喫しているようだった、、、。(2001年秋詠)