灯取虫更けて裏戸を打ちにけり

例えば家人の寝静まった頃に、一人でパソコンに向っていると、突然台所のほうで音がする。一瞬ドキッとして聞き耳を立てると、まだ何やら音が続いている。犬が平気で寝ているので怪しいものでもないのだろうと思いながら行ってみると、勝手口のドアのガラス越しに、大きな蛾がしきりに羽ばたく姿が見えた。なんて事がありませんか、、、?(2014年夏詠)

あての無き風を頼りの三尺寝

先日何かのテレビで、昼間眠いのはあまり良い事ではないらしい話をしていたが、しかしあの昼食後の眠気はいかんともしがたく、年中休日なのを良いことに、ついうつらうつらとしてしまう。そのまま眠りこけてしまえば昼寝、「さあ仕事!」と大工さんのようにピタリと起き出すのが三尺寝の本筋だろう。とにかく少しの場所と風さえあれば他に言うことは無い。だが問題もある。これに慣れてしまうと、句会へ行っても必ず眠気が襲ってきて、いつもぼやけた頭で出句時間を迎えることになってしまうのである、、、。(2014年夏詠)

青田中男くゆらす紫煙かな

七月一日、今日から今年も後半です。早いもので、もう田圃は植田から青田へと変わっています。掲句の男性は近所の本気で農業をされている方の一人です。と言っても農業一本となられたらしいのは昨年ぐらいから、時々こんな姿を見ていました。今年は明らかに違います。朝一番から暗くなるまで、田圃に入られています。きっと秋になればその本気度が田圃に現われてくるでしょう。見ているほうも楽しみです、、、。(2014年夏詠)

堰に来て水の逡巡合歓の花

散歩の終点としている所に嵯峨井堰という大きな堰があり、ちょうどその袂の土手のところに合歓の木が自生している。散歩を始めた頃にはまだ目の高さほどの幼木だったが、今では大きく育ち、花も下から見上げなければならないほどになっている。堰は用水に繋がり、川の水量とその折々の水の必要量とで、大きく様相を変える。以前書いた<春の堰マイナスイオン溢らしむ>のように水量豊富で勢いよく落ちていく時もあるし、掲句のようにちょっと迷っている時も、、、。(2014年夏詠)

酷暑なる空襲跡の煉瓦塀

掲句、岡山市の南方保育園の道路沿いにある、70年前の岡山空襲で焼け残った煉瓦塀です。今日6月29日は、70年前にその岡山空襲があった日です。当時私の母は天満屋に勤めていましたが、たまたまその日は休んで実家へ帰っていて助かったそうです。それはたまたまで、もし母が休んでいなかったら、私がこの世に生まれることは無かったのかも知れません。戦後70年、もう一度戦争を経験された方々の声に耳を傾けなければならない時期です、、、。(2014年夏詠)

濁り鮒気づけば影を沈め行く

どちらが先に気づくかと言うと周囲に気を配っている鮒のほうだろう、こちらが見た時にはもうその影は消えかかっているから。川は水量も多くいつも少し濁っている。降るでもない、晴れるでもない梅雨の空には、この薄く濁った川の色がよく似合っている、、、。(2014年夏詠)

水口に入口出口余り苗

田圃の一角にトラクターが入るための坂道と、どちらかの水口があり、その近辺に補植用の余り苗がまとめて植えてある。田植から数週間しか経っていないのに、広く植えられた苗のほうはどんどん分けつが進み、緑が濃くなって行く。対照的に余り苗のほうは、その役目が終わると容赦なく抜かれ、雑草の中に捨てられ枯れていく。水音は今が一番軽やかな頃、、、。(2014年夏詠)

重さうな空をささへて栗の花

大きな栗の木の全体を覆うように白い花が咲いている。その上に深く曇った重そうな空がある。まるで大きな栗の木が空全体を「ヨッコラショ」と支えているように見える。梅雨の空はいかにも重そう、、、。(2014年夏詠)

夏帽子目深にプール監視員

プールは設備点検のため一週間のお休み。ちょっと運動不足。休みが終わると屋外のプールも始まる。そうすれば子供たちは屋外に流れ、休日も屋内が泳ぎやすくなる。掲句はもう少し後、夏休みに入った頃の句。監視員も大変だ、、、。(2014年夏詠)