今はどうなのだろう。洗濯機や乾燥機も進歩し、病院もずいぶんお洒落になった。だから現在の病院には、こういう光景は無いのかも知れない、、、。病院の屋上は物干場になっていて、沢山の洗濯物が風にはためいている。カラフルとは言い難く、おおむね白が多かった。残った空間にベンチがいくつか置いてある。ベンチに座って眺めると、どこまでも青い秋の空があり、旅人のように雲が流れている。不思議と音の記憶はない、、、。(1999年秋詠)
投稿者: 牛二
流れ来しものの一つに秋の瓜
私から見れば立派な瓜でも、お百姓さんにとっては出来損ないの一つなのでしょう。用水脇を歩いていると、時としてビックリするような瓜や西瓜が流れてくることがあります。拾って帰って切ったら、中から可愛い瓜子姫が出てきました。なんてことは無いので拾いませんが、もったいないとは思います、、、。(2011年秋詠)
秋の蚊を打つてわが血が掌に
コガタアカイエカでは無く、たっぷりと血を吸った大きなヤブカ、膨れた腹のあたりが赤く透けて見え、飛ぶのもやっとという姿。それをパーンと小気味良い音をさせて打つと、開いた掌に血の跡がべっとり。これが血の色だったか、、、と、久しぶりに自分の血を見た瞬間だった、、、。上手く蚊が打てたのも久しぶりだったような、、、。(2011年秋詠)
秋燕空高ければ高く飛ぶ
現住所に住み始めた頃のこと、道路を隔てて大きなとうもろこし畑がありました。酪農の飼料用のとうもろこしです。夕方会社から帰ると、その畑に何百という燕が集まって騒いでいるのです。それぞれのとうもろこしの木に、撓むほどの燕が止まっています。まだ空を舞っている集団もあります。おしゃべりと羽音と、その日は夜遅くまで賑やかでした。それが翌朝には跡形も無く(とうもろこしには白い糞の跡がありましたが)居なくなっているのです。南に帰る燕のお宿だったのですね。そんな日が二三日続きました、、、。二年ほどして酪農を辞められて、とうもろこし畑は無くなってしまいました。燕のお宿も変わったのでしょう、同じような光景を見ることはなくなりました、、、。(1999年秋詠)
秋蝶となりて優しき翅づかひ
鳥が運んできた種で、庭には覚えの無い物が生えて来ます。山椒もその一つで、我家で一番大きな黒鉄黐(クロガネモチ)の木の下に、去年から芽を出しています。今年は三十センチぐらいに育ち、春から何度も使わせていただきました。夏の間は暑いので庭の手入れもお休みと決めて、山椒のこともしばらく忘れていました。秋になり、このところ旱続きで、庭が乾ききっています。山椒は大丈夫かなあと見に行くと、なんと、ほとんど葉っぱが無いではありませんか。そして代わりに丸々と太った揚羽の幼虫が三匹(山椒は揚羽の大好物なのです)。山椒は枯れるかも知れませんが、揚羽もたぶんこれが今年最後の幼虫です。仕方がないかとそのままにしてやりました、、、。だが、実はその近くに今年も何本か山椒の小さな芽を見つけているのです、、、。(2013年秋詠)
拗猫の塀の上なる夕焼かな
少し戻って夏の句です。犬はひたすら従順ですが、猫は自己主張するから面白いですね。塀の上でそっぽを向いて知らん顔、拗ねると尻尾も動かさない、、、。(2009年夏詠)
桃太郎生まれ出さうな桃かぶる
売り物にならないからと、桃を一箱いただいた。よく見れば形が多少いびつだったり、物に当った痕だろう、色が変わったところがある。それだけのことで、色と言い大きさと言い、我家で買う安物の桃なんぞよりよっぽど立派である。あれっ?これは大きさも立派だし、傷も無いようだが?ああ、なるほどこれか、まるでお尻、、、。(2013年秋詠)
蜩の山より風が吹いてくる
合宿の初日は、休み中の怠惰な生活が祟って、いつもひどいものだった。食事も喉を通らず、休み中の生活を後悔しながら、這うようにして練習をした。そして、一日の練習を終え、グランドの整備が済んだ頃には夕風が立っている。夕日が見える小高い位置に置かれたベンチに座り、蜩の声に包まれて飲む一本のコーラの、何と美味しかったことか、、、。安東次男の<蜩といふ名の裏山をいつも持つ>の句を知った時、私は瞬時にこの合宿の蜩を思い出した。安東次男が津山市沼の出身と知ったのは後のことだが、次男が詠んだ、いつも心にあった蜩とは、まさにあの蜩だったのである、、、。(1998年秋詠)
急カーブ突然秋の海がある
八月も終りに近づくと、いつも焦燥感にとらわれていた。何がやりたかった訳でもない。やらなければならない事があった訳でもない。なのに、焦燥感にとらわれてどうしようもなかった。そんな日々に終止符を打ち、覚悟を決めて夏合宿に出かけるのがこの頃であった、、、。掲句とは何の関係もありません、、、。(1999年秋詠)
法師蝉やがてシンクロして止まる
一匹が「ツクツクオーシ、ツクツクオーシ」と鳴きだす。少し遅れて別の一匹が同じように「ツクツクオーシ、ツクツクオーシ」と鳴きだす。しばらくは同じリズムで輪唱のように二匹の「ツクツクオーシ」が続く。しばらくすると疲れてくるのか、一方の声が少し遅れてくる。するともう一方も同じように遅れてきて、しだいに「ツクツクオーシ」が重なってくる。完全に一致したところで声は「ジジジジジー」と細くなってどちらも鳴き止む。鳴き止むと次の木に移り、また「ツクツクオーシ」が始まるのである、、、。説明が無いとわからないような句はダメですね、、、。(2011年秋詠)