粉雪のやがて牡丹となる気配

雪国の方には申し訳ない話です。朝起きて散歩に出ようとすると、明けきらない暗い空から白い物がちらつき始めています。しばらくすると霰交じりの粉雪に変わり、やがて大地を覆って行きます。この頃になると、大地の濡れ具合や降る状態で、積る雪かすぐ解ける雪か分かってきます。大地が白くなったあたりから雪が少し大きくなり、激しさを増してくると積ってきます。積りそうだと思うと楽しくなってきますが、その状態がどれくらい続くかです。ほんとに大きな牡丹雪に変わる頃には気温が上がり、積もりつつ解けつつといった状態になり、やがて雪は底をついてしまいます、、、。(2009年冬詠)

挨拶にもらふ白菜四つほど

これは実家の隣の、昨日とは別のお婆さんです。分からない事があれば聞きに行き、いろいろお世話になっています。この時もお聞きしたい事があって挨拶がてら伺ったのですが、帰りにはこれしか無いからと大きな白菜を四つも持たされてしまいました、、、。(2009年冬詠)

冬耕や地につくほどに腰曲げて

実家の近所の一人暮らしのお婆さん、亡くなった私の母と歳はそう離れていないと思いますが、相変わらずお元気で、天気が良ければ曲がった腰をさらに曲げて畑をされています。家は私の実家から直線距離で30mほど、正面ではありませんが良く見えます。おかげで防犯カメラが要らないぐらいに良く観察されています。どこでも年寄りの楽しみは同じですね、、、。(2009年冬詠)

寒の雨窓にムンクの顔がある

特に何があった訳でも無く、引き継ぎの仕事は順調に進んでいた。むしろ順調すぎて、外を見る時間が増えていた。ひどい雨だった。二階にある事務所の窓は一日中雨に打たれ、外は午後三時を過ぎるともう薄暗くなっていた。窓ガラスはしだいに透明度を落とし、しだいに室内の様子が映るようになって行った。窓際に立つと、パソコンに向かう女子社員の横顔を背景に、自分の顔が映っていた、、、。<阿南7>(2011年冬詠)

下町に音のいろいろ花八手

機関区の周りに多いのは、やはり鉄道関係の会社や工場ですが、それ以外にも小さな町工場がたくさんあって、いろいろな音が通りに漏れてきます。突然シューッと音がして、道路脇の溝に伸びたパイプから蒸気が噴出したりすることも、、、。(2012年冬詠)

機関区の大戸閉ざされ冬ざるる

あれ~、秋には大きな戸が開いて、中に何台も電車の車両が見えたのに、冬には閉められるんだ。と思いながら周囲をうろうろしていると、すぐ側の高架をマリンライナーが通過して行きました、、、。機関区の中に社員食堂があり、「一般の方もどうぞ」、と書いてあるので昼食を食べに入りました。私以外に一般の人は見当たらず、現役の方々の間に入るのは肩身が狭い感じがしましたが、鉄道マンに混じって「うどんセット」を食べてきました、、、。味は私には懐かしい、いわゆる社員食堂の味でした。値段は安いです。その上「ご自由にどうぞ」と書いて温かいコーヒーが置いてありましたので、ついでにこれもいただいて帰りました、、、。鉄道マニアではありませんが、岡山駅の西口から機関区があるこの一角は楽しいところです、、、。(2012年冬詠)

近道に抜ける公園冬菫

平日の昼間は居ないのをいい事に、娘の駐車場へ車を置き句会へ向かう。大通りを渡り、民家と町工場が混在する脇道に入る。しばらく歩くと一角に小さな公園があり、ここのトイレを借用する。トイレは道路側の手前にあり、生垣の角に少しだけ隙間が設けてある。看板のある入り口は角を曲がって、トイレから対角線のあたりにあるので、さしあたり裏口といったところか。たいてい人影はない。大きな楠木が一本、あとは滑り台やらブランコやら花壇やら、動物の形の乗り物が数体。トイレから出ると迷わず公園の中を斜めに横切って行く。ここを過ぎるとJRの機関区がある一帯に出る。(2012年冬詠)

躓けば犬が振向く寒暮かな

老いは否応なしにやって来る。もともと子どもの頃から足は上がっていなかったようで、度々祖父に注意された記憶がある。だからと言って人より躓き易かった訳ではなく、長い人生人並に転ばずに生きてきた。それが、ちょっとしたことで躓くようになったのがこの頃でした、、、。退職してからは、プール通いを続けていますので、すこぶる快調です。ずいぶん若返ったような気がします、、、。(2010年冬詠)