後楽園の芝焼きであったり、若草山の山焼きであったり、いかにも春を迎えるのにふさわしい行事という感じがして、テレビでの報道を見る度に一度間近で見てみたいものです。こういう時にかり出されるのが消防団員ですが、火事ではないので余裕が見受けられますね、、、。近所の河原や土手が時々燃えることがありますが、これは煙草の火の不始末であったり、焚火の火が移ったりで、これはいただけません、、、。(2010年春詠)
投稿者: 牛二
霜枯の野に新しきけもの道
毎日散歩しているのに、突然にこんな道を発見することがあります。ほとんどが河原ですから、ヌートリアぐらいかなと思いますが、、、。(2008年冬詠)
朝日受く寒雲仏とも見えて
だいぶ日の出が早くなってきて、散歩の時刻にちょうど赤く染まった雲が見えるようになった。太陽はまだ山の向こうで、山は暗く、その上空だけが輝いている。そんな中で赤く染まった雲が、まるで仏像のように見えることがある。輝いた空がちょうど光背のようになり、なんとも神々しい姿に見えるのである。(2012年冬詠)
スニーカー中に豆有り春立つ日
いたって初心の頃の句、まだ子どもも小さく、節分の豆まきに抵抗がなかった頃。句の良し悪しは別として、いつも新鮮な感覚で詠んでいた頃。懐かしいね、、、。(1998年春詠)
ピアニカを片手に少女春隣
ピアニカが小学校に導入されたのはいつだったろうか。私の時代はまだ普通のハーモニカだった。ほどなくピアニカに変わったように思うが、記憶は曖昧。ピアニカは商品名、正式名称は鍵盤ハーモニカと言うが、俳句で使うには字数が多すぎる。ピアニカでご容赦を、、、。掲句、少女がピアニカを演奏していたわけではなく、駆けていく少女の片手にピアニカがあっただけ。今時珍しく弟を連れて毎日走り回っていた女の子、少し成長したのかな、最近は見かけることが少なくなった。(2010年冬詠)
待ちきれぬ土竜の起こす冬の土
いよいよ春が近づいてきましたが、土竜は新年になるともう活動を開始していて、田圃の中や公園の芝生に、その跡が見られます。管理する立場ではやっかいな動物ですが、春を待つ身にはうれしい春の足音の一つですね。(2010年冬詠)
寒鯉をゆるべてすくと老釣師
今日は春を思わせる良い天気だった。かの老釣師、ちょうど立ち上がったところに出会ったので話しかけてみた。「釣れますかあ?」「ぼちぼちなあ、60センぐらいあったかなあ」(60センは60Cm)「この前は90セン、提げたら尻尾が地に着いてなあ」「釣れたら楽しいですねえ」「冬じゃからなあ、11月から10匹ぐらいは釣ったじゃろうか」「へえ~10匹もおっ」「全部ゆるべてなあ」(ゆるべる=放す)<老釣師、放す仕草>、、、。10匹もとは言ったが、考えてみると90日で10匹ということは、9日で1匹、あとの8日は冬の岸辺にじっと座っておられるわけだ、、、。(2012年冬詠)
冬終へる毎日違ふ雲を見て
四国での二ヶ月間には沢山の句を詠みました。もっと書けば良いのですが、少し魂胆があってここには既発表の句を中心に書きました。これで一先ず終りにしますが、また来年あたりに書くと思いますが、、、。最後の日はこっそりと帰ろうと、一人一人に挨拶をして周ったのですが、そうは行きませんでした。皆さんに集まっていただき、抱えきれないような花束まで頂きました。四国の皆さんにも、そのためにわざわざ本社から来ていただいたH課長にも、そして何より津山で私を支えていただいた皆さんに、心からお礼申し上げます。<阿南8>(2011年冬詠)
犬猫に鴉にとんび寒施行
来るもの拒まずの寒施行ですが、鳶はお腹が空いていても自分の翼が引っかかるような所へは下りてきません。というのは前ぶりです、、、。もうずい分前の冬のことになりますが、「とんびに油揚げをいただいた」ことがあります。河原を散歩していると、土手の上で鳶が三羽争っているのが見えました。「おいおい、喧嘩はやめなさい」と、通り過ぎようとしたとき、一羽が黒くて長いひも状の物を掴んで飛立ちました。続けて二羽も飛立ち、空中でしばらく争っていましたが、とうとうそのひも状の物を放してしまいました。あ~っと言う間もなくそれは岸辺の枯茨の中へポトン。三羽はそのまま川を越えて飛び去って行きました、、、。黒くて長いので蛇だろうと思いましたが、生来の怖いもの見たさで見に行くと、なんと大きな鰻ではありませんか!前ぶりの通り、鳶は枯茨には近づかないのは知っていましたが、念のためそのままにして散歩を続け、帰りに見るとやはりそのままでした、、、。で、なぜかポケットにレジ袋があったので、遠慮なくいただいて帰りました。捌いてその日の夕食に。もちろん犬にも猫にもお相伴を、、、。長さ55Cm強、油ののった鰻でした。なぜあの時季に鰻なのか、未だにわからない、嘘のような本当の話です、、、。(2012年冬詠)
雪だるま目鼻くずれて泣きさうに
雪晴の日は日暮れても何処となく明るさが残っています。早めに残業を終えて歩いて帰ると、そこここに子どもたちの遊んだ跡が残っています。スコップや橇が放り出されたままだったり、作りかけの小さなかまくらだったり。掲句は途中にある公民館の広場にあった、解けかけた雪だるま、、、。(2010年冬詠)