痩犬の影を引きずる冬田かな

生来の野犬ではなく、年老いて捨てられた、自分で狩など出来ないような痩せた犬を見かけることがある。首輪をしているから確かに飼犬だったのだろうが、身体は汚れ、人間不信なのだろう、決して近づくことはない。哀れに思うが、どうしてやる事も出来ない。一度飼いだしたら最後まで見てやるのが当たり前だと思うのですが、、、。(2000年冬詠)

冬河原けものの気配して静か

この辺りに住んでいる獣と言えば、狐、狸、ヌートリア、鼬、犬、猫、鼠ぐらいです。野良犬はほとんど見かけませんが、野良猫はたくさんいます。どれも顔を合わせれば逃げ出しますが、こちらに見つからないうちは枯葎の奥に隠れて、ひっそりとこちらを伺っています。それはたぶん、狐か猫ぐらいですが、気配はするものの物音一つしないのです。(2010年冬詠)

葉牡丹の同じ顔して売られけり

ホームセンターやスーパーの前には、いろいろな苗が売られていますね。花にも野菜にも、知ったものもあれば知らないものも。これを買うでもなく見るのが好きです。ちょうど葉牡丹らしい形になりかけの苗が、箱一杯に並んでいました。同じような顔をして、、、。葉牡丹ってキャベツの仲間ではなかろうかと思うのですが、どうなのでしょうか?(2010年冬詠)

着ぶくれて古本市の人となる

毎年冬に図書館の主催で古本市があります。古くなった図書館の本や一般市民から寄贈されたを無料でもらえます。昔はずいぶん大規模で、市内の空き店舗を何軒も使って開催されていました。「えっ、こんな本も!」というような良い本もたくさんありました。最近は寄贈される本も少ないのでしょう、一ヶ所だけになり、寂しくなりました。それでも毎年楽しみにしています。今年も復刻版の本がまとめてあったので、三十冊ほど貰って来ました。「碧梧桐句集 大須賀乙字選」なんていう復刻版もあります、、、。(2008年冬詠)

花八手路地をぬけるに十歩ほど

家と家のすき間を抜けると交差点に出る。幅の半分ぐらいは水路で、通れるのは徒歩か、自転車か、せいぜいバイクまでという、いつもの短い路地です。この路地にはいくつも句を貰いました。そんなありがたい路地の片側、塀際の柿の木の下に忘れられたように植えられている八手です、、。ある日私のバイクの後をついて来て、私の後から迷わず路地に入って来られた軽四がありましたが、案の定抜けられず脱輪されてしまいました。「急がば回れ」、知らない方でしたが気の毒でした。(2010年冬詠)

凍雲や直線で切るビルの空

歩きなれた良く知った街は下を向いて歩くことが多い。よく知らない街は上を見て歩くことが多い。中途半端だと、上を見て歩きながら他の事を考えていたりする。掲句は岡山駅西口から句会場へ行く途中で出来た句です。合歓の会へ参加した年で、周辺を何回か歩いたぐらいの中途半端な頃だったなあ。(2008年冬詠)

日本海水平線まで冬の雲

ず~っと昔、一泊忘年会で鳥取の海辺の民宿へ行ったことがあります。仕事が終ってから出発しますから現地に着くのは結構な時刻です。着いたらすぐに風呂、蟹尽くしの宴会と続いて、後は寝るだけ組か、麻雀組かになります。翌日は重たい頭を抱えて港へ、お決まりの魚市場での買物、海を見ての帰途となります。雪がちらつく寒い日でした。初めて見た冬の日本海は、黒く低い雲が水平線まで垂れ込め、押しつぶされそうな感じを受けました。ああ、これが日本海側の冬の暮らしなのだと思いました。・・・掲句は海の写真を見ていてその時を思い出した時の句です。(1998年冬詠)