古い句を探したらこんな句がありました。何の選挙だったか記憶にないのですが、国道沿いの空地に建てられたプレハブの選挙事務所。選挙が終り、数ヵ月後に通ると跡形もなく、そこには夏草が茂っていました。どなたの事務所だったのか、結果がどうだったかも記憶にないということは、あまり関心がなかったからでしょうか、、、。今日は投票に行きます。結果は見えているような気がしますが、、、。(2000年夏詠)
投稿者: 牛二
明易や掌ほどの犬生まる
犬は誰に教えてもらった訳でもないのに、上手にお産をします。プードルの生れたばかりの子犬は、ちょうど掌に乗るぐらいの大きさです。ビロードのような柔らかい短い毛に覆われて、耳は小さく頭にくっついています。目は短い皺のようです。身体の色は成長すれば変わる場合もありますが、だいたいは生れたときの色で決まります、、、。母親は人間でもそうですが、我子のために必死で面倒を見ます。親としての態度には、見ていて教えられることが沢山ありますが、いつまでたっても親は親、子は子、というところは犬も人間も変わらないようです、、、。(2002年夏詠)
くつきりと雲の影行く大夏野
これは蒜山高原へ行った時の句です。少し高い位置から眺めた夏野を雲の影が動いて行きます。高原の雲は低く、自分の位置からさほど高くない位置を流れて行きます。その分影が濃いのでしょうか、影を引きつれてゆっくりと流れて行きます、、、。(2000年夏詠)
汐入の川に夕風雪加鳴く
岡山の中央公民館での句会は雪加の声でしばし中断した。私が雪加の声を聞いたのはそれが最初だった。窓の外のどこからか続くヒッツ、ヒッツ、ヒッツ、ヒッツと聞こえる声のリズムは、私にはまるで機械仕掛けか何かのように感じられた。句会が終り、外に出たのはもう夕方だった。公民館から後楽園の駐車場まで旭川沿いを皆さんと歩いた。歩いていく途中、内田百閒の公園があるあたりに、筒状の鳥の巣が落ちていた。大きめのコップといった形は、人工的に作ったようなきちんとしたものだった。急いでいたし、あえて足を止めることもしなかったが、家に帰ってネットで雪加を調べていると、今日見たのと同じ筒状の巣が載っていた、、、。(2009年夏詠)
猛暑日の凄み増したる空の青
猛暑の日の空は、青を通り越して暗ささえ感じてしまう。そこにあるのは底知れぬ宇宙の力のようなもので、ちっぽけな地球を焼き尽くそうとしているかのようだ。そんな猛暑日が今年も続いている、、、。(2012年夏詠)
一手打ち一手待つ間の遠花火
ずいぶん昔、会社の先輩Nさんと四国の工場へ、オーディオ機器の開発応援に行ったことがある。会社の使われなくなった古い寮を事務の女性が住める程度まで掃除してくれ、しばらくNさんと二人で生活した。Nさんは東京への長期出張の間に将棋会館に通ったというほどの将棋好きで、とても私が勝てるような相手ではなかった。それでもNさんは、その部屋に残されていた将棋盤を見つけると、足りない駒を紙切れで作り、いやだと言う私に毎晩相手をさせた。ある晩将棋盤を囲んでいると遠くで音がして、割れて一枚だけ透明になったガラス窓の、ちょうどそのガラス一枚に収まるほどの小ささで遠くの花火が見えたことがあった。きれいだった、、、。(2012年夏詠)
飼主も犬も摺足油照
こんな暑い時に散歩に行かなくても、と思ったがねだられて出てしまった。後悔先に立たず、真昼の日差しと焼けたアスファルトからの照り返しで、頭も朦朧としてくる。もともとしっかりと足を上げて歩くほうではないが、こんな日はついつい摺足になって躓きそうになってしまう。犬は飼主に似ると言うが、他人から見ると愛犬「もみじ」もご多分に漏れず私にソックリなのだそうだ。なので、時々摺足になって躓きそうになる。「しまった、おねだりするのではなかった」と、その時はたぶん思うだろうが、翌日には同じようにねだってくる、、、。(2011年夏詠)
夏つばめ旅の話をひとしきり
ちょっと息抜きです。燕のおしゃべりはいつも楽しそうですね、、、。(2010年夏詠)
水無月や雲より遠きわが故郷
なんでこんな句を詠んだかなあ。たぶん夕方の散歩の途中で、遠い西の空の雲を見ていて故郷を想ったのだろうなあ、、、。<水無月や風に吹かれに古里へ 鬼貫>(2010年夏詠)
夏草を広げ大きな猫寝まる
ほど良い木陰の夏草を押し広げたようにした真中で、大きな猫が眠っていた。私や犬が通ろうが我関せずの眠りっぷりはボス猫と見た。ボス猫の命は短い。日々縄張りの見回りをし、さらに縄張りを広げるべく遠出をする。遠出をすれば国道も渡らなければならない。必然的に危険が増すのである。まあ、そればかりではあるまいが、早ければ数ヶ月で交代となる。掲句の猫、いつまでボスでいたかの記憶は無い、、、。(2003年夏詠)