庭の木に鵯の一声葬の家

鵯の句をもう一句。前にも書いたことがありますが、2000年当時はまだ自宅での葬儀が普通でした。道路に面してお庭のある古いお宅の葬儀でした。葬儀も終盤にさしかかった頃庭の木に一羽の鵯が飛んで来ました。鵯は大きな絞るような声で一声鳴くと、たちまち飛び去ってしまいました。その声が妙に耳に残り掲句になりました。(2000年秋詠)

人参の芽にやはらかき朝の露

本気で農業をされているお宅の田圃は、稲の収穫が済むとたちまち畑へと変身し、次の作物が植えられる。大根であったり人参であったり、その年によって異なるが、十月も終わりごろになるともう次の作物が育ち始める。人参は大根などとは一味違った、いかにも人参といった元気な緑色をしているのですぐ分かる。(2000年秋詠)

自動ドア開きちちろの声高し

「お先に」、「お疲れ様」、このやり取りを何度か繰り返すとたちまち一人きりになった。途端に肩の力が抜け、ため息が漏れる。去年の今頃は毎日がこのくり返しだった。四国への業務の移転話は、消える可能性がないことはなかったが、その確率は日毎に下がって行った。私などよりよっぽど不安であるはずの部下たちが元気に働いてくれている中で、私は一人、いつも逃げ出したい思いに駆られていた。気が付けば秋は深まり、自動ドアの外には虫の声が溢れる闇があった。(2000年秋詠)

銀漢に紛れて低き飛行音

よく分かりませんが飛行機にも通り道があって、ちょうどこの辺りの空の、それも高度の高い位置がそれに当っているように思います。昼間には何本もの飛行機雲が交差しているのが見えますし、夜には飛行音とともに、赤と緑に点滅する信号灯がいくつも見えます。さらに夜が更けて、銀河が見える時間帯になると、見えていた点滅が星の中に紛れ、飛行音だけが残るようになります。(2000年秋詠)

女教師の胸元深し赤い羽根

どういう状況で作ったのか、さっぱり記憶にないのですが、パソコンの中に残っていた句です。、、、。2000年といえば、学校や地区のいろいろな役員をしていた頃です。たぶん何かの退屈な会合で、隅っこの席から、出席されていた先生を見て作ったのでしょう。熱心な役員ではありませんね、、、。(2000年秋詠)

厨より猫叱る声山椒の実

我家では犬も猫も人間も叱られるのは一緒です。そんな事を言っても犬や猫には分からないだろうと思うのですが、犬も猫も逃げ出しもせずに、それらしい顔で聞いています。まあ、ひたすら耐えて、台風が通り過ぎるのを待つより他がない事は、教えたわけではありませんが、私と一緒ですから。(2000年秋詠)

北向の窓の明るさ柿熟るる

我家の裏には二階ぐらいの高さでJRの土手があり、姫新線が走っています。国鉄時代と違い、JRになってからは殆ど手入れをされることが無く、放って置けば茂った草や木が我家まで迫って来ます。仕方が無いので私が草刈をします。その代わり土手の斜面は、我家の庭の一部になっています。花もありますが、柿、無花果、枇杷、ポポと果実の生る木もたくさん植えてあります。何と言っても古いのは柿で、借家住まいの頃に育てていた木を移植しました。ですから三十年以上の古木ということになります。少ない年もありますが、それでも毎年実をつけてくれる、働き者です。(2000年秋詠)

秋霖や仕舞ひ忘れし庭箒

通り過ぎていく車の音に何となく雨を感じて目が覚めた。起き出すと案の定雨だった。音もない雨が降り続いている。今日が雨なら昨日のうちに、もう少し庭の手入れをしておけばよかったと、天気予報を見逃したことを後悔しながら、新聞を取りに外へ出る。庭に目をやると、昨日仕舞い忘れた箒がぽつんと濡れていた。(2000年秋詠)

八朔や手焼きの皿に指の跡

焼物に詳しい訳ではありませんが、見るのは好きです。本当は欲しいのですが、良い物はそれなりの値段がしますので、見るだけになります。名古屋の親戚に寄った時、毎年行くという瀬戸物祭の話になって、いろいろ見せてもらっているうちに一枚だけ気に入って、貰ってしまいました。名のある焼物ではないのですが、くっきりと指の跡のある皿です。(2000年秋詠)

万緑や死したる後は散骨に

故郷を離れ家を構えると、そこから新しいお付き合いが始まります。葬式のお手伝いもその一つで、ずい分させてもらいました。土葬の経験こそありませんが、自宅で葬儀のすべてが行われていた頃は大変でした。祭壇や飾り物の準備に一日、当日も受付や駐車場の整理などと一日取られます。葬式の前だったか、後だったか忘れましたが、一人に返って万緑の中に立った時、ふと散骨のことを思いました。まだ父も母も故郷に健在だった頃なので、さして深く考えてのことではありません。その後父を送り、さらに母を送り、そろそろ次を考えても良い頃になりましたが、その選択肢はずい分増えて来ましたね。(2000年夏詠)