下萌や芝生に光る陶の椅子

これは中国自動車道のどこかのサービスエリアだったと思いますが、どこだったかは記憶が定かではないのです。芽吹きだした芝生に、白に藍色の模様の丸い陶器の椅子がいくつか置いてありました。陶の椅子はやわらかに朝日を返していましたが、座ると冷たそう、まだそんな季節でした。たぶん出張の途中だったと思います、、、。今はドッグランがある所が多いですね。(2000年春詠)

鉄塔に薄き日輪黄砂降る

近くにある高圧の送電線用の鉄塔を見上げると、ちょうど鉄塔の先に太陽がかかっていた。普段なら眩しい太陽が、くすんだ赤色に見え、周囲は汚れた黄色に縁取られて見えた。明るいはずの春の午後が何となく薄暗く、うそ寒い感じがした、、、。黄砂は昔からあったが、今ほど多くはなかったし、春になった証のようなものだと思っていた、、、。(2000年春詠)

対岸の犬の遠吠え寒昴

遠吠えは犬がかつて野生であった頃の名残りなのでしょうね。冷え切った冬の夜空に向かって、まるで自己主張しているかのような犬の遠吠え、対岸ゆえですが、聞きほれてしまいます、、、。ちなみに、我が愛犬のもみじは滅多に声を出しません。ストレスが溜まらないか心配で、鳴いたら褒めてやることにしています、、、。(2000年冬詠)

ぽつかりとトンネルの口山眠る

-しばらく阿南を離れます-ポカンと口を開けて眠るか、ギリギリと歯軋りをしながら眠るか、どちらでしょうか。私の場合は口を開けて眠っているような気がします。どちらにしてもあまり見られたくない顔ではあります、、、。掲句は中国道で大阪へ通っていた頃の句。岡山と兵庫の県境あたりにいくつかのトンネルがある。山にしてみれば好きで開けられたトンネルではなし、喉の奥のほうがむずむずして、たまったものではないだろうが、、、。(2000年冬詠)

痩犬の影を引きずる冬田かな

生来の野犬ではなく、年老いて捨てられた、自分で狩など出来ないような痩せた犬を見かけることがある。首輪をしているから確かに飼犬だったのだろうが、身体は汚れ、人間不信なのだろう、決して近づくことはない。哀れに思うが、どうしてやる事も出来ない。一度飼いだしたら最後まで見てやるのが当たり前だと思うのですが、、、。(2000年冬詠)

石仏の朽ちし花筒竜の玉

何とも美しい青い玉を、子どもの頃は「くす玉」と呼んでいました。細い竹で鉄砲を作り、その弾として使っていましたが、大きさが均一で、青い表皮の下は白くて硬い球状で、鉄砲の弾には最適でした。それにたくさん採っても、ポケットに入れても、決して汚れることがないのが良かった。俳句を始めて「竜の玉」の名前を知ったが、すぐに納得できました。これほど最適な名前はないでしょう。(2000年冬詠)

小春日や二階より入る引越荷

2000年だったのかと今思い出しています。隣の隣に新しい家が建って、引っ越して来られた時の句です。そう言えば我家の時も、箪笥やらベッドやらを二階から入れたなあ、上手いもんだなあ、と思い出しながら眺めていました。我家を建てた時は周囲は田んぼでした。夕方になると裏の線路を狐が歩いていくようなところでしたが、、、。(2000年冬詠)

残菊を束ねし紐の白さかな

通勤途中にある酒屋の前の、大ぶりな鉢に大輪の菊を一本仕立にしたものも見事だと思うが、その手前の道路沿いの畑の隅に、植えるとも無く植えられたような小菊の群もまた見事だと思う。そんな小菊の群もシーズンの終わりに近づくと、保てなくなった姿勢を、エイヤッと括られてしまう。荷造り用のビニール紐の白さが際立っていた。(2000年冬詠)

夜神楽の酔のまはりし足運び

美作地方の祭は「だんじり」が主役になりますが、私の育った備中地方では「備中神楽」が主役となります。娯楽が少なかったこともありますが、子どもの頃から慣れ親しんだ太鼓の音を聴くと、今でも心がはやります。どうしても贔屓目に見てしまうのですが、全国にいろいろな神楽がある中でも、備中神楽は最高です。(2000年秋詠)

弔のごみ焼くほとり赤のまま

また昨日の続きになります。葬儀で出たごみを焼くのも仕事の一つです。畑であったり、近くの空地であったりしますが、このときは家の傍の水路際の空地でした。秋の日はもう西に傾きかけ、肌寒く感じるような時刻になっていました。赤々と燃える炎の周囲には犬蓼がたくさん咲いていました。(2000年秋詠)