寒禽の声に心経紛れけり

「室戸」その5 私はただの旅行者として最御崎寺へお参りしましたので、お経を上げることはしませんでしたが、遍路をされる場合は本堂と大師堂の二箇所で般若心経をあげるのが作法だそうです。バスツアーの遍路の皆さんは案内の方のメガホンに合わせて大きな声で読経されます。一人の方は人それぞれで、すがりつくように読経されている方もありました。どちらかと言えば一人で回られている方の落ち着いた読経の声のほうが心に沁みる感じがしました、、、。(2011年冬詠)

独言ゆふても一人山眠る

「室戸」その4 室戸岬の灯台の近くにある最御崎寺までは車でも登れますが、海岸を歩いているうちに遍路道を見つけ、ほんの出来心で、歩いて登ってみました。二十分ぐらいかかったでしょうか、正直なところ運動不足の身体にはきつくて、途中で何度も後悔しましたが、そのぶん最御崎寺の山門にたどり着いた時の喜びは大きいものでした。遍路道と言ってもごく普通の山道で、違うところは道端の木にお遍路さんの残した道しるべがたくさん下がっていたことです。じっくりと見たわけではありませんが、古くからの物が大切に残されているようでした。ごみは落ちていませんでした。まさに信仰の道です。遍路道を歩いたのはここだけですが、いつか歩き遍路をしてみたいと思うようになってしまいました、、、。(2011年冬詠)

石蕗の花四国はどこを歩けども

「室戸」その3 こと室戸に限ったことではありませんが、四国に居る間はどこへ行ってもこう思っていました。ホテル近くの公園、山道、何箇所か周った札所寺、どこへ行っても、ちょっとした道端には必ず石蕗の花が咲いている。自生しているのかも知れませんね、、、。(2011年冬詠)

バンダナの下は坊主か冬遍路

「室戸」その2 季節がら歩き遍路は少ないですが、それでも何人かには会いました。掲句はその中の一人、白衣に、菅笠を付けたリュックを背負い、頭にはバンダナを巻いた、まだ若い体格のしっかりしたお遍路さんでした。室戸岬の手前の太平洋沿いの国道で会い、岬にある最御先寺まで先になり後になりしながら遍路道を上りました。後ろから見ながら、きっとバンダナの下は坊主だろう、坊主でないと様にならない、と思いましたが、見た訳ではありません、、、。(2011年冬詠)

浦の字の続く地名や冬の旅

「室戸」その1 もう三年前になりますが、四国の阿南市に勤務していた頃に、思い立って一日休みを取り、一人で室戸岬まで吟行したことがあります。その時の十句を「室戸」としてまとめましたので、それを今日から連続して書こうと思います、、、。まずは旅の始まり、ホテルから会社とは反対方向へ走って室戸へ向かいます。太平洋沿いの国道55号線を走っていた時の句です。海辺の地方では当たり前でしょうが、山の中に住んでいる私にとっては、標識がある度に出てくる地名の「浦」の字さえもが珍しく、新鮮に感じられるのでした、、、。(2011年冬詠)

五日目となる箱住い冬の雨

四国で二ヶ月間を過ごしたのは三年前、掲句は五日目だから十二月五日、ビジネスホテルの狭い部屋へ帰ったときの句です。早いものですね、職場の解散パーティーからもう三年が経ってしまいました。先日「久しぶりに元のメンバーで・・・」と声をかけていただいて、忘年会に行ってきました。何はともあれ、皆さん元気で逞しく、久しぶりに全員の顔が揃って、こんなうれしい事はありませんでした。一年後、二年後、また同じ元気な顔が見たいものです、、、。(2011年冬詠)

極月の禰宜の拍手遠くまで

たぶんあの音が出るまでには何万回もの練習があったのだろうと思わせる拍手の音が遠くまで響いて来た。ことさら強く聞こえたのは、たぶん数日後に控えた新年への決意と言うか、初詣の人出に対する覚悟と言うか、そういうものが入り混じっているからだろう。どうやったらああいう音が出るのだろう?普段拍手を打つなんて事のない私なんか、たまたま賽銭をあげて拍手を打とうものなら、いつもスカスカの音ばかりです。投資が足りないのかなあ、、、。(2011年冬詠)

晩秋の日差の中の部屋埃

気が付くと南側のガラス戸から斜めに入った午後の日差が机の下にまで到達している。こんなにも太陽は低くなったのかと感慨に浸りながらガラス戸のほうを見ると途端に現実に引き戻される。光の中を部屋の埃がまるで綿虫かなにかのように浮遊している。ずいぶん長い間掃除機もかけていないような気がする、、、。(2011年秋詠)

お役所を巡りて釣瓶落しかな

いよいよ日暮が早くなって来ましたね。掲句は母が亡くなった年の秋、後の手続きに役所巡りをしたときの句です。津山を出発して、高梁、総社の市役所へ、その途中で実家へも寄ったりして、手続きが終わって外に出るともう夕暮、役所の手続きは難しい、、、。(2011年秋詠)