走り出しさうに少年木々芽ぐむ

若いってことはそれだけで価値があることなんだが、気づかなかったなあ少年の頃には。今となってはどうしようもないことだが、せめて心の若さだけは持ち続けたいものだ、、、。掲句、岡山の西川緑道公園での一こま、この後のシーンの展開は読者にまかせよう、、、。(2013年春詠)

白菜の畝に細りてあたたかし

見て通る他所の家庭菜園の白菜が、見るも無残なほどにやせ細って、畝に数本残されています。ちょっと可哀そう。あのまま枯れていくのかなあ。それとも薹が立って花が咲くのかなあ。白菜の花ってどんな花なんだろう。と、毎日見ているうちに今日で二月も終わりです、、、。(2013年春詠)

掃き寄せしごみの形に斑雪

春の雪がうっすらと庭の一部を白くしている。よく見ると白くなっているのは、前日に掃き寄せてそのままとり忘れたごみのある場所だ。ちょっとした温度差なのだろう、こうして見るとまんざら悪くないなあと、取り忘れたことは棚に上げて、しばし感心した次第です、、、。(2013年春詠)

浅春の並びて発車待つ電車

掲句は岡山駅の西口から線路沿いに歩いていて目にした風景ですが、大きな駅はどこでもこうなのかも知れない。津山駅は線路と並行している山沿いの道を車で走っていると、やはりこのような電車だまりが見える。駅は賑やかな表の風景もいいけれど、このような裏側の風景にも惹かれる。春の駅には別れと出会いが待っている、、、。(2013年春詠)

縦横に川使ひけり春の鴨

冬の間はくっつくでもなく離れるでもなく、浮寝鳥を決め込んでいた鴨たちですが、春の日差とともに活発に動くようになります。活動範囲も広くなるようです。川幅いっぱいに自由に泳ぎまわって、何やら遊んでいるようにも見えます。浮寝鳥の時と違って楽しそうですね、、、。集団で河川敷に上がって草を啄ばむ姿もよく目にします。新芽ばかりを啄ばむのでしょう、後には指の先ほどの鮮やかな緑色の糞がたくさん残っています、、、。(2013年春詠)

舞ふ雪の風に礫となる夕べ

立春とともにやってきた寒波で今日(五日)は朝から雪でした。落ちては融ける、明るくも寂しい雪です、、、。掲句は昨年の雪、雪ぐらいと油断して傘を持たずに出た夕方の散歩、途中から五百円玉ほどもあるような牡丹雪に変ってしまいました。おまけに風、こうなると大変なんです。眼鏡に頬に、容赦なくぶつかって来ます。痛いというか冷たいというか、、、。(2013年春詠)

如月や口縁薄きティーカップ

普段はコーヒーだろうが紅茶だろうが同じマグカップで、サッサと淹れてサッサと飲んでしまいます。もちろんティーバッグはカップに入れたままです、、、。午後の紅茶と言うと何やらCMのようになってしまいますが、たまにはと思い取り出した年代物のティーカップ、テーブルの上の午後の光に、湯気がゆっくりと揺らめいています。縁から下がったティーバッグの紐さえも絵になるようです、、、。(2013年春詠)

春光のまぶしき朝のにはたづみ

だいたい雨上がりの天気の良い朝は眩しいものと決まっていますが、早春のそれは特に眩しい気がします。ちょうど山の上に朝日が顔を出す頃に、東へ向って歩く散歩コースは、アスファルトの道も、道に出来た水溜りも、空気までもが輝いて見え、目を細めても追いつかないぐらいです。特に最近、、、と書きかけて気付きましたが、これって視力の衰え、、、?(2013年春詠)