小鳥来る庭に大きな実のなる木

庭にある大きな実のなる木はクロガネモチ、手入れをしないものだから、大きくなって隣家の庭にまではみ出している。落葉はあるし、時々枯枝も落ちている。申し訳ないと思いつつ、ご好意に甘えている。先日珍しい声がするので見たらコゲラが二羽遊んでいた。コゲラが巣をかけてくれると楽しいが、コゲラが来るということは、もしかしたら木が弱っていて、虫が多いのかも知れない。となると、突然大きな枯枝が落ちてくるような事がないとも言えないなあ、、、。(2014年秋詠)

秋燕の集ひて旅へ羽慣らす

今年の天候はどうもおかしい。これでは燕も旅立ちを迷うのではないかと思っていたが、気づけば燕もずいぶん数が減っている。先日も朝の電線に多くの燕が止まり、周囲をこれまた多くの燕が舞っている姿があった。その電線を前夜の宿にした旅の途中の一団なのだろう。長旅ご苦労様、無事に南の島に着くことを祈るのみ、、、。(2014年秋詠)

爪高く上げて重機の秋の空

こんもりと生えた小さな林の上に、伸びるだけ伸びた形で重機の腕と爪が静止して覗いていた。上方に開いた爪は、まるで空を掴もうとしているかのようだった。たまたま休憩時間だったのか、工事の音は無く、真っ青な空を背景に動かない重機の爪は、絵の中の一部品のようだった。いつもは威圧的に見える重機の爪が、この時ばかりは風景の中に溶け込んでいた、、、。(2014年秋詠)

コスモスや門に下がりし木のクルス

国道429号線を走っていると、門柱に木の十字架がかけられている家がある。走りながら見るので、最初は見間違いかなと思ったのだが、気になって通る度に見てしまう。何でもない最近の普通の家、十字架は木製のよう、紐のようなもので吊るしてある。と、少しずつ情報を増やしているが、その何よりも、門の周囲の一面のコスモスがきれい、、、。(2014年秋詠)

彼岸花咲けども暗し屋敷跡

近くにある神社の隅に石碑がある。それには、その碑を建てた人の家がかつてはこの地にあり、幼少の頃には朝夕に神社の明かりを見て勉学に勤しんだ事が、七語調の詩として切々と詠われている。その石碑のある場所の後には、何本もの大きな杉の木があり、その間には竹まで生えて、人の入れない鬱蒼とした藪になっている。たぶんそこが屋敷跡なのだろうと思うのだが、その面影は全く無く、単なる想像に過ぎないのかも知れない、、、。(2014年秋詠)

赤青のカヌーの干され水の秋

電話に気をとられたお婆さんが桃太郎の桃を拾い損ねるという携帯電話のCMが流れて奥津渓を訪れる人が増えたそうです。とすると、今年の秋は人が多いだろうなあ、なんて考えています。掲句はその手前、奥津湖(ダム湖)に併設の施設水の郷での句です。小高い位置からダム湖が見渡せます。ダム湖に下りる遊歩道もあり、数年前からカヌーを見るようになりました。干されたカヌーのカラフルな色が、周囲の秋を映したダム湖によく合います、、、。(2014年秋詠)

蔓のもの皆立ち上がり秋野かな

特に葛、あの勢いはなんだ!と思ってしまう。数本が捩れあって、あたかも一本の茎のようになって、何も支えのないところにも立ち上がる。在れば在ったで、元の植物を覆いつくしてしまう。困ったものです、、、。(2014年秋詠)

金風や高き脚立に腰を据ゑ

高い脚立の一番上に腰を下ろして、少しだけいつもと違う高さの風景を眺めていると、吹く風はまさに金風、先人は上手いことを言うものだと思う。家の三方向を生垣にしている。当然その手入は私の仕事で、それほど広い訳ではないが、少しずつやっていると一年がかりになってしまう。暑ければ休む、寒ければ休む、雨の後は濡れるから休む、と休みばかりで、結局一年がかりになってしまう。「上手いもんじゃなあ、プロになれるで」なんて冗談を言う人もあるが、こんなに時間をかけていてはプロにはなれない、、、。(2014年秋詠)