久しぶりに飲んだ紅茶のティーバッグに遠い青春時代を思い出した時の句、、、。(2014年春詠)
カテゴリー: 2014
自転車の出れば空つぽ花あせび
散歩の途中にある道路沿いのお宅、働き盛りの両親と高校生の男の子が一人いる。まず作業服姿のお父さんが車で出て行き、続けてヘルメット姿のお母さんが勢いよくバイクで出て行った。少し間があり、玄関に鍵をかけるのは高校生の男の子、カーポートの自転車にまたがり前かごに鞄を放り込むと、そのまま何事もなかったように自然に出て行った。ぽかんと口を開けたようなカーポートが残った、、、。(2014年春詠)
蒲公英の球体欠けて行く真昼
タンポポの種が風に吹かれて球体を離れていく様子と、海の中の藻に産み付けられた卵から孵ったばかりの稚魚が藻を離れていく様子はよく似ていると思う。その様子は、まるで最後までくっついている一点を自ら振り払うような仕草をしているように見え、離れると同時に力が抜けたかのように後は風まかせ、水まかせで漂って行く。自然はうまく出来ている、、、。(2014年春詠)
近寄れば鎌はごめんと蛙鳴く
活発に動くにはまだ気温が低いのだろう、蛙はまだ草の根元でじっとしていることが多い。土手の菜の花が育ちすぎて圧迫されそうなので、少し整理しようと鎌を進めるとなにやら悲鳴のような声がする。刈った菜の花を掻き分けると小さな蛙が出てきた。おいおい大丈夫か、とひっくり返してみたがどこにも傷はない。ああ良かった、と元に戻すとのそのそと四肢を使って菜の花の間へ隠れて行った。動きは遅い。草刈はもう少し待って、ということだろう、、、。(2014年春詠)
蝶二頭出会へば縺る昼河原
大方は求愛行動ではなかろうかと思うが、中には争いの場合があるかも知れない。だとすればなんと優雅な争い。どちらが勝つとも負けるとも、、、。(2014年春詠)
観世音涙とも見ゆ春燈下
仏像はその時の心のありようで、いろいろなお姿に見えるものです。掲句は誕生寺の観世音菩薩像です、、、。(2014年春詠)
花筏いづれ大海焦るなよ
遭難して無人島に流れ着いた人が空ビンに手紙を入れて海に流す。やがてそれが海を渡り人の目に付き無人島に救助の船が来る。なんて言うような物語が昔の雑誌にはよく載っていました。少年は同じように空き瓶で手紙を流すと誰かに届くかも知れないと何度もビンを流しましたが、あのビンはどこへ行ったのでしょう?大海へ出たまま、いまだに漂っているのかも知れませんが、海がよごれる原因になりますので、良い子はまねをしないでください、、、。(2014年春詠)
病室の窓吹き上げて行く落花
三月に父の十三回忌を済ませました。早いものです。掲句は父が亡くなる少し前の高階の病室で、窓の外を眺めながら母が話してくれた事を詠んだ句です。母はその病院で父の前にも祖父や祖母を看取った事があるのですが、その時に見た窓の外を吹き上げてくる桜の景色が忘れられないと、コテコテの岡山弁で目を輝かせながら話すのです。この時が初めてでした、私の感性は母から受け継いだものだと認識したのは。私は、父がもう少しがんばってくれればまたその景色が見られるね、と、私もその景色を見たくて言ったのですが、結局桜を待たずに父は逝ってしまいました、、、。(2014年春詠)☆
花吹雪職務質問おあづけに
西川緑道公園を北へ北へと歩いて行くと岡山県警察本部がある。そのせいか、ここまで来るとそれらしい人も多くみかけるし、制服姿での交通取締りも多い。掲句は二人組、制服姿で遠目だったが手にバインダーのような物が見えたので職務質問ということに。二人ともちょっと息抜きか、風に散る桜を見上げて、肩の力も抜けているように見えた、、、。(2014年春詠)
朝鮮人受難碑落花しきりなる
西川緑道公園にある朝鮮人受難の碑、両岸の桜がしきりに散っている。昨年の4月10日の日付があります。近くにはヴィーナスの像や大きなメタセコイアの木もあり、緑道公園では比較的静かな一画です。11時過ぎでしたが、ベンチには落花の中でお弁当を楽しんでいらっしゃる方も何人か見かけました。碑文の中身までは読んでいませんが、かつて受難の時代があったことは想像するに難くないですね、、、。(2014年春詠)