今日の日の晴るる予感の朝桜

岡山へ句会に行く日の朝の句です。雨が平気な方もいらっしゃいますが、どちらかと言うと晴れたほうが(それも適度に)私は好きです。とりあえず朝の散歩で遠くから見た桜の姿で天気予報をしてみましたが、この日は大当たりでした。ただし、適度は越えて、初夏のような晴天、、、。(2014年春詠)

万愚節三鬼の生家素通りに

四月一日はエイプリルフールでもありますが、西東三鬼の忌日でもあります。三鬼の生家は一方通行の裏通りから二三歩上がったような位置にある小さなお家です。道路沿いに立派な句碑がありますのですぐわかります。今は一般の方の住居ということで拝見は出来ないので、いつも素通りです。三鬼の墓はそこから少し歩いた成道寺というお寺にあります。以前一度お参りしましたが、思いのほか小さなお墓でした。墓地が広かったので、次に来るときのために墓地のこの辺りと記憶して帰りました。ところが昨年行くと、あの広かった墓地がほとんど埋まり、とうとう三鬼のお墓を見つけられなかった、と言う、ホントに四月馬鹿な日のお話です、、、。(2014年春詠)

春宵の闇に匂へる物いろいろ

芽吹きの匂と私は思っているのですが、どこからともなくそういう匂がしてきます。他にも花の匂であったり、田圃が始まると肥料の匂であったり、鼻は休まることがありません。花粉症の方にとっては辛い時期なのでしょうが、そうでなくて良かったです、、、。(2014年春詠)

名草の芽似ていて非なるもの数多

とうとう草取りに精を出す季節になってきましたね。栴檀は双葉より芳しと言いますが、そうでない庭の植物には、植えたものか勝手に生えたものか、双葉の頃にはさっぱりわからないものが多いですね。何だろう?と思いながら育てていると、どんどん大きくなって、結局雑草だったりするのですが、雑草と決め付けるのは人間で、植物のほうにそういう意識がないのは確かです。それにしても、よく似た草があるものですね、、、。(2014年春詠)

身のまはり隙間の多し春の鴨

掲句は完全なこじつけです、、、。先日読売新聞に、GPSでの位置計算に相対性理論を使うことによって、誤差を5Cm以内に抑えた自動制御の記事が載っていました。昔タイムマシンについて書かれた本を読んだときに相対性理論が出てきて、難しいことはサッパリ分からないけど、何となくタイムマシンの可能性を感じたりしたことを思い出しました。相対性理論は今でもわかりませんが、昔夢の中のことのように感じた理屈が、現実の中で使われるようになっているなんてホント驚きです。人間ってすごいものですね、、、!(2014年春詠)

春泥や轍伝ひに行潦

午後の散歩で出会うその女性は、近くに一軒だけある個人商店へ日々の食材を買いに、毎日通われているようだった。最初はヨチヨチ歩きの子供を連れていた頃で、それで声をかけて頂けたのだろうが、以後会釈を交わすようになった。私の連れている子供はやがて二人目に替わり、そうこうしているうちに犬が加わり、犬だけになり、今では大きな黒ラブに替わっている。女性のほうはいつも農作業用の帽子をかぶり、長い間自転車で乗って通われていた。その帽子は今も全く変わらないのだが、この冬から自転車が手押し車に変わってしまった。ちょっとした坂道も平気で登っておられたのが、最近は途中で休まれていることが多い。そんな時に挨拶をすると、目深にかぶった農作業用の帽子の下から弱弱しい笑顔が返ってくる、、、。(2014年春詠)

さざ波の数の春光まぶしめり

プラスチックレンズになって眼鏡の値段は安くなり重さも軽くなった。それはメリットだけれど、デメリットとしては傷つき易くなったことがある。硬い物にぶつかると傷つくし、汚れを拭き取った時に細かい擦り傷が出来たりする。そういう眼鏡をかけていると、傷で光が拡散して、それに加齢による視力の衰えが加わって、何でもない光がやたらと眩しくなってしまう、、、。それはさておき、掲句は程よい眩しさの漣に覆われた、備中国分寺近くの旧山手村役場の建物がある近くの池を眺めていたときの句、眼鏡を新しくした後の句です、、、。(2014年春詠)