間延びして春の汽笛の木霊かな

間延びして聞こえるのは気のせいかなあ、いやいや湿気のせいかも知れないなあ。軟らかく聞こえるのは明らかに湿気のせいだろうね。なんて事を考えながら、朝の吉井川の堤防を歩いています。雑音の少ない朝の木霊はずいぶん長く続きます、、、。(2013年春詠)

花水木老犬すでに夢の中

今年は満足に桜を見ない内に季節が移り、もう花水木の季節になりました。ハナミズキは、最近は街路樹に使われることも多く、すっかり桜の後の定位置を確保しています。待てよ、ハナミズキって昔は無かったような気がするなあ、と思って調べてみたら、1912年に東京からワシントンに送られた桜への返礼として、1915年に日本に渡って来たのが最初のようです。だから別名をアメリカヤマボウシと言うのでしょう。今年でちょうど百年、ポトマック川の河畔に根付いた桜と、日本中に広まったハナミズキ、定位置を確保するだけの縁があった訳でした、、、。(2013年春詠)

つばくらや屋根の重なる坂の街

少し見る位置が高くなるだけで普段とはずいぶん違った風景が見えるものですね。掲句は津山城東の千光寺の山門での句です。倉敷の阿智神社から眺めた屋根の風景も好きですが、それとは少し違った雰囲気です、、、。(2014年春詠)

作州の盆地ぐるりと遠霞

作州は山国だからどこへ行っても盆地のようなものですが、その中央に位置するのが津山盆地になります。そのまた中央の南よりぐらいが今住んでいる辺りだろうと思います。だからもちろん四方は山ですが、山までは遠く結構広いのです。その四方の山々に霞がかかっている晩春、暖かくて霞の中央に居る私の頭の中にも霞がかかっている、、、。(2014年春詠)

頬白の一筆啓上葉隠に

昨年の津山吟行での句です。頬白は歳時記によって秋に入れられたり春に入れられたり、中には春秋両方に入れられています。私は春のほうが合っていると思うのですが、なぜだろう?と常々疑問に思っていたところ、山本健吉の「ことばの歳時記」の「囀」の項に、その理由らしきことが書かれていました。長くなるので書きませんが、興味がある方は読んでみてください。山本健吉がいろいろな所に書いた文章をまとめた本です。ちなみに上記「囀」は(電信電話 昭和43年3月)と書かれています、、、。(2014年春詠)

雀来てゐる豌豆の花咲いて

久しぶりにロッカールームで仙人と一緒になった。「蛇やマムシは出ませんか?」「ああ、出る出る」「怖くないですか?」「怖いよ、怖いけど向うのほうが先に住んでいたんだからね、仕方ないよ。こちらが気をつけて歩いてる。上を見たり下を見たり、これからの季節は忙しいよ」「上?」「ああ、スズメバチ。これが一番やっかい。夏には戦争だよ!」「スズメバチとですか、あれは危ないですね。でもこれからは良い季節になりますね。気持ちいいでしょう?」「そう!最高!特に五月はね!」と急に目が輝きだした、、、。(2014年春詠)

古本を選る春陰に息ついて

ちょっと一息、最初から買おうという気はサラサラない。奉還町のアーケード街、古書店の前に置かれたワゴンに一冊百円の古本が並んでいる。文庫本には記憶にあるタイトルがいくつもある。もう一度読んでみたい気もするが、家に帰ればそう思って手に入れた古本が山になっている、、、。(2014年春詠)

駅裏のベンチにぎやか鳥の恋

岡山駅西口です。西口もずいぶん変わりました。吉備線と津山線が一番端っこのホームから出るのは今も同じのようです。出張帰りに薄暗い西口の売店でカップ酒を買って、上司と二人津山線の最終便を待ったことがありますが、今の西口、まして昼間の西口にはその時の面影はまったくありません、、、。(2014年春詠)