だいぶ春が近づきましたね。河川敷の散歩で枯芝に映る影がだいぶ濃くなったような気がします。芝に混じる雑草はもう芽を出しかけているようですよ、、、。(2013年冬詠)
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枝先に一羽武蔵の冬の鵙
宮本武蔵が描いた水墨画に「枯木鳴鵙図」と言う枯木にとまった鵙の画があります(ネットでも宮本武蔵 鵙で検索すれば出てきます)。掲句は散歩の途中でちょうどあの図のような構図を見た時の句です。実際に見た鵙の顔は、武蔵の画ほどの厳しさはありませんでしたが、それでも十分に猛禽類の顔でした、、、。ここからは雑学です。枯木鳴鵙図の鵙は右向きに描かれています。これは武蔵が左利きだった証拠で、右利きだったらたぶん左向きに描いていただろうとのことです、、、。(2013年冬詠)
冬晴や渡る気のなき交差点
田舎の交差点は車と一対一になることが多いので、青信号の交差点に立って考え事をしていると、車の人に不審がられますが、その点都会はいいですね。お互いに無関係な関係で、、、。もちろん考えているのは、控えている苦会、いや句会のこと、、、。(2010年冬詠)
地に還るものを眠らせ大枯野
二週間ほど前になりますが甥の結婚式で久しぶりに大阪へ行きました。翌日高速バスの待合室で時間をつぶしていると、道路の向こう側の歩道を散歩する黒ラブの姿が見えました。離れていたので犬が黒ラブであること、連れているのが私と同年輩の男性であることぐらいしか分かりませんでしたが、いつものコースなのでしょう、どちらも慣れた足取りで通り過ぎて行きました。まるで我家と同じだと思ったのですが、ふと歩くところがまるっきり違うことに気づきました、、、。(2013年冬詠)
寒雀パンのかけらを確かむる
散歩の途中の土手の舗装路に雀が降りてきた。見るとパンの耳らしき物を銜えている。初めて貰った物か、一端路上に置いて首をかしげながらつついてみている。近づくと銜えて数メートル先まで飛んでいき、また同じことをしている。それを二三回繰り返すと、やっと私が行く方向に逃げていることに気づいたのか、道から外れて田んぼのほうへ飛んでいった、、、。(2013年冬詠)
どの家の犬も引つこみ寒四郎
寒四郎は寒に入って四日目に降る雨を言うのだそうで、室戸の句を書いているうちに四日目を過ぎてしまいました。掲句も四国での句、寒の雨が冷たいのは四国でも津山でも同じこと、ましてまだ満足に暖房設備不の整っていない事務所では、、、。(2011年冬詠)
冬の灯の笑ひ声する納経所
これも一番札所霊山寺での句です。本堂を見学していると笑い声が聞こえてきました。見ると、本堂の右手に部屋があり、明りが灯っています。納経所でした。新米のお遍路さんに何やら説明されているのでしょう、時々笑い声が混じる、優しそうな話し声がしていました。本堂の薄暗さと、納経所の暖かそうな灯の色の対比が印象的でした、、、。(2011年冬詠)
大寒の何をせずとも暮るる日や
大寒です、、、。(2013年冬詠)
寒雲の速し風鐸鳴る空に
さすが一番札所、これから遍路を始めるふうな方を大勢見かけました。霊山寺は平地にあるお寺で、ここから始まるお遍路の、待っている厳しさなんぞ、微塵も感じられませんでした。と言えば叱られるかもしれませんね。風の強い日で、大きな音に視線を上げると、多宝塔の風鐸が風に揺れて鳴っていました。塔の指す空には走るように流れる寒そうな雲がありました、、、。(2011年冬詠)
待春の顔の優しき仁王像
昨日で十句終わりましたが、ついでに四国での句を少し書きます。掲句は別の日に一番札所霊山寺へ寄道をした時の句です。仁王門の無いお寺もありますが、あればお寺で最初にお目にかかる仏像が、阿吽の形相で門を守る仁王様ですね。霊山寺には立派な仁王門があり、その門の前には、一番札所らしく遍路姿の人形が立っていました。仁王様は、こちらの心の持ちようかもしれませんが、ちょっと愛嬌のある優しい顔をされていました。霊山寺は、「れいざんじ」と読むのかと思ったら「りょうぜんじ」と読むのでした、、、。(2011年冬詠)