二月になりました。古い句稿を見ていると掲句がありました。たぶん遠い記憶の中の景なのでしょう。あるいは山口百恵の歌を聞いていて作った句なのかも知れない、、、。(2002年冬詠)
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窯出しや乾ききつたる炭の音
遠い記憶の中にいくつか、祖父の炭焼の場面がありますが、その中の一つが窯出しの場面です。真っ赤に燃えていた炭窯の焚き口に、練った赤土を塗って火を止めます。それから何日後だったでしょうか、窯出しが始まります。窯に入るとまだ暑いぐらいの熱が残っています。その暗がりの中に長さ1メートルほどの焼きあがった炭が整然と並んで立っています。それを壊さないように一本ずつ運び出すのですが、完全に水分の抜けた炭は結構硬く、炭同士が触れるとなんともやさしい金属音がするのです、、、。(2001年冬詠)
風花や告別式の道しるべ
自宅での葬式が主だった頃の句です。あの頃はたいていが駐車場係をしていましたが、暑い時も寒い時も大変でした、、、。(1999年冬詠)
初はやて自転車の子等前傾す
昨日も今日も俳句を始めた頃の句、見るものすべてが新鮮で駄句をたくさん詠んでいた。掲句、突然吹いて来た風に、自転車通学の男の子たちが一斉に前傾するのを見た時の句です。今となっては「初はやて」は疑問ですが、まあ良しとしましょう、、、。(1998年冬詠)
見上げれば冬の空ある会議室
工業団地の一角にある勤務先から道を隔てた用地は、入る会社が無くてずいぶん長い間空地のままだった。そちらに面した会議室からは遠くまで見渡せ、四季折々の空が眺められた。会議も丁々発止と議論を戦わすような会議は面白いが、窓を背に陣取った気に食わない上司の一方的な話を聞くだけのような会議も多かった。そういう会議の時は、聴いているような顔をして上司のほうを見つつ、退屈すると視線を少しだけ上げる。するとそこには四季折々の空があるのだった、、、。やがてこの空地にも会社が入り、出来たのは鉄工所で、平屋だがとてつもなく屋根が高い建物だった。おかげで会議室からの眺めは完全に遮られ、私の密かな楽しみは奪われてしまった、、、。(1997年冬詠)
水鳥の羽繕ふも水の中
水鳥は水の中に居ても、そんなに寒くはないのかも知れませんが、それでもやはり暖かい日は楽しそうに見えます。おしゃべりも多いし、追掛っこをしたり潜ったり、それぞれに日差を満喫しているようです、、、。静かに羽を整えているのは母鳥なのかなあ、、、。(2011年冬)
時雨るるや茶店に紅き小座布団
衆楽園の中に小さな茶店がある。開いていたり閉まっていたり、しばらく続けて閉まっていると思っていたら、ある時通ると店の女主人が替わっていた。だいぶ若返っていた。以後はずっと開いているのかと思ったがそうでもなさそう、、、。この時は時雨の来るような寒い日で、表のガラス戸は閉まっていたが、軒下の縁台にはお決まりの赤い小さな座布団が並べられ客を待っていた、、、。(2012年冬詠)
すつぽりと村を収めて冬の虹
さあーっと強い時雨が襲ってきた。近くにあったお堂の軒下を借りて雨宿り、待つほどでもなく雨は過ぎて行った。さあ帰ろうかと外に出ると虹が出ていた。珍しく両端から頂まで弧を描いているのが見える大きな虹だった。その下を時雨が日を受けながら去って行った、、、。(2012年冬詠)
枯木立ベンチに犬と老人と
阿南公園はホテルから100メートルほど離れたところにあった。大きな山の中腹ぐらいまでが公園になっており、冬のせいか早朝には出会う人もほとんどない寂しい公園だった。それが気に入り、ここを知ってからはもっぱらここを散歩コースとした。数少ない出会う人の中に掲句の老人と犬があった。最初はすれ違う時に挨拶する程度だったが、ある朝少し登ったところにある神社の前のベンチに老人と犬が座っていたので声を掛けてみた。珍しい犬だと思っていたら四国犬とのことだった。四国犬に関する知識は全くなかったのでただただ聴くだけだったが、犬は自分の話と知っているのか、おとなしく老人に寄り添っていた。久しぶりに仕事を離れた会話をしたような気がして楽しかった、、、。(2011年冬詠)
通訳の手話軽やかに冬ぬくし
四国赴任中の2ヶ月間は、週末は津山へ帰り週明けに四国へ渡る生活だった。行程の中に入れた何ヶ所かのSAの一つ、瀬戸大橋を渡り高松自動車道をしばらく走ったところにある津田の松原SAでの景。観光ではなさそうな五六人のグループが、海に向った窓辺で談笑していた。中の一人が見える場所の説明をしている。他の人が聴きながら相槌を打ったり笑ったり、談笑をしている。その中の一人が自分も話に加わりながら一方で手話通訳をしていた。その手さばきの軽やかなこと、滞ることがなかった。どこかの職場仲間かも知れないなあと思った、、、。(2011年冬詠)