通りがかりに見えた板壁の隙間の明かりが蝋燭の明かりのようだった。それでふと神の留守を思った。さて今年は出雲ではめでたい事がありました。きっとお集まりになった神々も飲めや歌えやの大さわぎ、宴会続きで戻ってくるのを忘れられるのではあるまいか、、、。(2012年冬詠)
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初冬や夕べに匂ふ田の煙
ずいぶん前の句です。同じ光景は今も続いていますが、私自身はずいぶん変わってしまいましたね、、、。(2000年冬詠)
日溜をただ這ふばかり冬の蜂
子どもの頃の寒い冬の日、近所の庭に落ちている大きな蜂を見つけた。全く動かないし、てっきり死んでいるものと思って、手を出した途端に親指に痛みが走った。泣きそうなぐらいに痛かったが、他にも子どもがいたので泣かなかった。結局家に帰っても叱られそうで親にも言わず、数日間ひたすら我慢した。幸い刺され所が良かったのか、見つかるほど腫れもせず事なきを得た。それでもって蜂は動かなくても触るべきではないことを覚えたが、それからも何度も蜂には刺された。今年の夏散歩の途中で久しぶりに足長蜂に刺されたら、腕がずいぶん腫れあがった。子どもの頃の免疫がなくなっているらしい、、、。(2012年冬詠)
時雨るるや木枠の窓の磨硝子
木枠の窓も磨硝子も見かけることが少なくなりましたね。もちろん機能的にはアルミサッシや色ガラスのほうが優れているのですが、下手をすると外れてしまいそうな閉めるのに苦労する木枠の窓や、割れて一部分だけありあわせの透明ガラスを入れた、隙間から北風が入ってくるような窓が懐かしいですね、、、。(2012年冬詠)
百枚の落葉百態花水木
庭の木々も少しずつ落葉の時期がずれています。今はハナミズキが盛んに散っています。少し捩れた形の葉っぱはそれぞれが異なった形と色をしています。紅い中にまた模様があって、落葉の数だけ楽しめます、、、。(2013年冬詠)
誰も居ぬ夜の会議室室の花
さあ、そろそろ戸締りをして帰ろうかと、一人取り残された会社の廊下へ出た。ドアの開いた会議室の前を通ると佳い香りがしてきたので覗いてみると、明かりが消えた部屋の窓際に花が飾られていた。その一角が、カーテン越しに入るわずかな外光を背に、妙に近寄りがたい厳かな雰囲気を漂わせていて、覗いた瞬間に心臓が止まるほどドキッとした、、、。(2010年冬詠)
一瓶の水仙近き句座の席
なぜだか倉敷公民館の、誰でも入れる小さな談話室での句会だった。テーブルも高さが違うものが二つ、ぎりぎり人数分の椅子があった。入口側のテーブルの一番入口側の席に座ると、ちょうど目の前に花瓶に入れられた水仙があった、、、。(2011年春詠)
舞ふ雪の風に礫となる夕べ
立春とともにやってきた寒波で今日(五日)は朝から雪でした。落ちては融ける、明るくも寂しい雪です、、、。掲句は昨年の雪、雪ぐらいと油断して傘を持たずに出た夕方の散歩、途中から五百円玉ほどもあるような牡丹雪に変ってしまいました。おまけに風、こうなると大変なんです。眼鏡に頬に、容赦なくぶつかって来ます。痛いというか冷たいというか、、、。(2013年春詠)
節分や吹きつさらしの刃物砥
今週はまた真冬の寒さが戻ってくるとかで、そう簡単には春はやって来ないようだ。掲句の年の節分は寒風吹きすさぶ寒い日だった。近くのショッピングセンターの前にテントを張り、いつもの刃物砥が来ていた。包丁、鎌、農具等々、所狭しと並べられた商品の奥にグラインダーを置いて、年老いた男が包丁を砥いでいる姿はいかにも寒そうだった、、、。中学生の頃だったか、大きな自転車の後に砥石やもろもろの道具を載せて家々を回る刃物砥を何度か見たことがある。やはり(中学生の目から見ればかも知れないが)老人で、自転車のハンドルには足に紐を付けたペットのカラスを止まらせていた。なぜかその刃物砥とカラスの組み合わせが、絶妙に感じられたものだった、、、。(2012年冬詠)
赤屋根の蒲鉾牛舎冬鳶
出張で大阪へ向けて中国道を走っている途中、播州平野に差し掛かった辺りで、遠くに赤い蒲鉾型の数棟の建物が見えた。そのはるか上空には鳶の姿があった。脇見運転をしていた訳ではなく、どちらも遠くの、ほんの僅かな時間の映像ですので、ほんとに牛舎(?)と言われると返す言葉はありませんです、、、。(2000年冬詠)