父に借る父のにほひの夏帽子

大して役に立つわけではありませんが、時には田舎へ帰り、親孝行の真似事をしたこともあります。もともと帽子はあまり被らないので、無くても平気なのですが、母の出してくれる、父の一張羅の麦藁帽子を、素直に被りました。これも親孝行かと、、、。(1999年夏詠)

国宝の縁を借りたる三尺寝

閑谷学校は何度訪れても飽きることがない。丸みを帯びた石塀、講堂の磨かれた床、床に切られた炉の跡にも心惹かれる。講堂の縁に腰を下ろし、吹く風に身を任せながら古に想いを馳せていると、つい眠くなってしまう。(2002年夏詠)

自動ドア開き炎帝かつとある

さしたる目的もなくショッピングセンターに入る。差し障りの無いところを一通り見て周り、汗が引いたところで本屋で時間を潰す。さあ帰ろうと出口に向かうと、止る間もなく自動ドアがすーっと開く。一歩踏み出した途端に真夏の太陽が正面にあった。(2009年夏詠)

白南風や校舎に尖る避雷針

与謝野鉄幹、晶子夫妻が岡山県北を訪れたのは昭和八年夏である。その時の歌碑が県北各地に残っている。その旅の最終日に訪れ、晶子が講演を行った女学校が現在の美作高校である。正門を入ったところの植え込みに晶子の<美しき五群の山に護られて学ぶ少女はいみじかりけれ>の歌碑がある。正門から道を挟んだところにある体育館からは、夏休みの間も絶えず少女たちの声が聞えてくるが、対照的に歌碑のある校舎側は、夏休みの学校の静寂に覆われている。かつては女子高でしたが、今は共学で男子もいます。(2001年夏詠)

万緑や死したる後は散骨に

故郷を離れ家を構えると、そこから新しいお付き合いが始まります。葬式のお手伝いもその一つで、ずい分させてもらいました。土葬の経験こそありませんが、自宅で葬儀のすべてが行われていた頃は大変でした。祭壇や飾り物の準備に一日、当日も受付や駐車場の整理などと一日取られます。葬式の前だったか、後だったか忘れましたが、一人に返って万緑の中に立った時、ふと散骨のことを思いました。まだ父も母も故郷に健在だった頃なので、さして深く考えてのことではありません。その後父を送り、さらに母を送り、そろそろ次を考えても良い頃になりましたが、その選択肢はずい分増えて来ましたね。(2000年夏詠)

雨後の空の明るさ青胡桃

河原に生えている胡桃の木は鬼胡桃という種類で、食用にする栽培種とは大きさも硬さも違います。小さくて硬くて、割っても食べるところは殆どありません。この時期の胡桃はその外側に青い皮が付いていて、ちょうどゴルフボールぐらいの大きさです。その実が房状に下がって生っています。青胡桃はよく見かけるのですが、秋になり、色が変り始めるといつの間にか無くなってしまいます。テレビのCMではないですが、利口な鴉が持っていくのかも知れません。(2001年夏詠)

鳥鳴いて鳥が応ふる梅雨晴間

吉備津神社の裏山に「あじさい園」がある。急な斜面にたくさんの紫陽花が植えられており、紫陽花を見ながら細い山道を登るのだが、これが結構しんどい。登りきったところに岩山宮という小さな社がありベンチが置いてある。ここに腰を下ろして下界を見下ろしていると鳥の声がする。四十雀だろうか、山の上のほうで声がすると、それに応えるように下のほうからも声がする。これが何度も何度も繰り返されるのである。(2008年夏詠)

形代の犬猫の名も流れけり

七月になると郵便受けに氏神様の封筒が入ります。中には半紙を切った形代人形が数枚入っており、それに家族の年書をして初穂料と一緒にまた封筒に戻します。これを子どもに持たせて七月十四日の夏祭にお参りさせます。茅の輪くぐりなどもありますが、受付で封筒を渡すと一回引かせてくれる福引が子どもの一番の楽しみです。公明正大な福引かどうかわからないですが、たいていは安物のチューブに入ったジュースや駄菓子の袋を持って喜んで帰って来るのでした。(2002年夏詠)

青りんご盥の水を溢らしむ

学生時代の夏、東北のとある山の中の停留所に降りた時のこと。昔は田舎に行けばどこにでもあった、停留所脇のよろず屋ふうの小さなお店。店先の盥にホースの水を流しっぱなしにし、拳ぐらいの青いりんごをたくさん浮かべていた。安かったので二個買った。一つはリュックにしまい、一つを齧りながら歩いた。焼けるような夏の日差の下で、りんごの酸っぱさが口に広がり、一度に汗が引くような感じがした。(2002年夏詠)