冬至。日の暮れがもっとも早いのは冬至よりも十日ほど前のようだ。掲句はそんな早い日暮れの頃、見上げた空に眉月が次第にその光を増し、存在を明らかにしていくのだった。ちなみに今年の今日は旧暦11月20日だから、月は既に満月を過ぎ、痩せ始めて朝の西空に残っている頃だ、、、。(2010年冬詠)
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南国の冬コスモスと言ふべきか
四国に赴任したのは12月1日だったが、右折して会社のほうへ曲がる交差点の側の畑に、コスモスが咲いているのを見つけた。「へえ~っ、まだコスモスが咲いているんだ、やっぱり南国は違うなあ!」と車の中で一人感心した時に出来た句。それからしばらくは、毎日通る度に感心したのだが、そのコスモスがいつ無くなったかが記憶に無い。人間の記憶なんて、そんなものなのでしょうね、、、。(2011年冬詠)
残菊へ日差かたむく杣の家
急峻な山の斜面を削った僅かな平地に、山を背にして杣の家はある。家の前に狭い庭があり、その先はまた切り立った石垣となっている。覗くと足がすくむ高さだが、ギリギリの所に植えてある小菊の群と、それを倒れないように守っている杭と横に括った細い竹が、防護柵の代わりとなっているだけだ。夕日は谷を隔てた向かい側の山に沈んで行く。山の日暮は早い、、、。(2002年冬詠)
足元を猫すり抜ける歳の市
四国で見かけた商店街の風景、こういう商店街も少なくなりましたね、、、。(2011年冬詠)
ぽつてりと讃岐平野の山眠る
山の形は場所によってずいぶん違います。同じ岡山県内でも、私が育った備中地方の山と、現在住んでいる作州の山とは違っています。掲句は四国赴任中の休み明け、瀬戸大橋を渡り徳島へ向けて讃岐平野を走っていた車中から見た山の印象です。ぽってりと丸っこい、テレビで見る讃岐の名物の何かのCMのアニメの山そのものでした、、、。子どもの頃には見慣れた形で山の絵をずいぶん描きましたが、讃岐で育った子はきっとこのように丸っこい形の山を描くのだろう、と、走りながらふとそんなことを思いました、、、。(2011年冬詠)
しはぶきの一つ過ぎ行く窓の外
「アンソロジー合歓10号」の編集後記に書いた句です。夜、今も向っているこの机で、ちょうど編集作業をしている時に、窓の外を人が通って行きました。たまたま一つ、咳をして、、、。本来なら今頃は12号の編集をしている頃ですが、都合により少し遅れます。このブログを読んでいただいている方の中にも、もしかしたらそろそろと、待っていてくださる方があるかも知れません。ありましたら申し訳ありませんが、しばらくお待ちください、、、。(2012年冬詠)
万両や小さく作る犬の墓
老犬アリスがとうとう死んでしまった。19歳、老衰だった。我家で生れ、我家で育ち、そして死んで行った。何日も餌を食べなかったせいか、紙のように軽く、小さくなっていた。庭の隅に小さな墓を作り埋めてやった、、、。我家には後三匹の犬が居る。アリスの姪とその娘のプードル、そして黒ラブのもみじ。犬だって最後まで見てやろうとすると、人間と同じように手がかかる。プードルはなんとかなるが、体重30キロの黒ラブとなるとなあ、、、。(2013年冬詠)
冬芽持つサクラモクレンコクチナシ
こちらは阿南市内の牛岐城趾公園での句。広場の中央に巨大なクリスマスツリーがあった。その大きさに圧倒されるが、もちろん朝なので点灯は無し、訪れている人も無い。植栽に付けられた名札は「サクラ」「モクレン」「コクチナシ」、南国の木々はしっかりと冬芽を育て、春に備えていた、、、。(2011年冬詠)
路地ひとつ折れてまともに冬朝日
続けてもう一句、同じ頃の句。「ええっと、ここを曲がれば」と、簡単な地図を頼りに路地に入ると正面に朝日があった。大きかった。山国ではこうは行かない、朝日は山の端に昇るものと決まっているから、、、。(2011年冬詠)
駅頭に立てば時雨るる夜明空
四国での最後のサラリーマン生活での句。夜明け前から起き出して散歩、ホテルのフロントで貰った地図を頼りに阿南市内を散策、二十分ぐらいは歩いただろうか、たどり着いた駅で時雨に会った。駅舎に入り、しばらく人の流れを眺め、時雨の通り過ぎるのを待った。外に出ると明けかけた街のクリスマスのイルミネーションが時雨に濡れて滲んで見えた、、、。(2011年冬詠)