晩秋の晩秋らしいのは、やはり夕方の農村風景ではないでしょうか。掲句は昨年詠んだものですが、今年は毎日歩いているので、ことさらそう思います。広く続く田圃の遠くに青煙が上り、ぽつんと人が動いている。毎日の、そんな風景、、、。(2011年秋詠)
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こま犬の口の中にも紅葉かな
倉敷まきび公園吟行での句。合歓の会に参加して2回目の吟行、諸先輩がたに混じって余裕は全くありませんでした。藁をも掴む気持ちで覗き込んだ狛犬の口の中に紅葉が一枚、やっとこの日の最初の一句となりました。七句出句は今でも苦行です。(2008年秋詠)
二階より鶏が顔出す文化の日
近くのお宅の車庫の屋上に、ログハウス風の小屋と鶏舎があり、鶏が飼われています。色が茶色だから矮鶏かも知れません。数匹がコッコ、コッコとよく鳴いています。暖かい昼間は外に出してもらい、屋上の手摺の上を歩いていますが、よく逃げ出さないものだと思っています。たまたま通りかかったのが文化の日で、たまたま二階を見上げると鶏の顔が覗いていた、という図。これも文化。天気の良い日でした。(2010年秋詠)
お喋りをしたく鶺鴒寄り来る
鶺鴒は長いサラリーマン生活の中で、最も親しかった鳥かも知れない。会社の通用口の廂や屋根の隙間によく巣を作った。鶺鴒の寿命がどれくらいなのか知らないが、定年までには何世代も代替わりし、そのうち私の顔も覚えたのかも知れない。ずいぶん近くまで寄ってきてお喋りをして行った。ある年一羽の鶺鴒が通路に死んでいた。まだ新しかったが車も通るところなので、拾って片付けた。それをどこかで見ていたのだろう、しばらくの間私は悪者としてしきりにまとわり付いて責められた。(2011年秋詠)
動く雲動かざる雲冬隣
池の鯉秋日含めばすぐ潜る
朝は寒いが、太陽が顔を出すと途端に暖かくなって来る。ちょうどそんな晩秋の日の暖かくなりかけた頃でした。池にかけられた橋の上から覗くと鯉が寄ってきました。鯉は水面に顔を出し、大きく口を開けて動かすと、また潜っていくのです。鯉にしてみれば「餌ちょうだい!でもまだ寒いな、潜ろう!」と言った感じなのでしょうが、それがちょうど出始めた太陽の光を含んで潜っていくようで、、、。(2010年秋詠)
深秋の見慣れし街に知らぬ道
元来が出不精で、普段は必要なところにしか行かない。道も一つ覚えたらたいていその道を通ってしまう。だから、たまに横道に反れようものなら、新鮮な風景に出会って驚くのである。見慣れていたのは表通りだけで、実はその裏にこんな風景があったのだと。掲句は津山吟行での句。かつて歩いた田園地帯が、いつのまにか住宅地になり、また知らない道が増えていた。(2010年秋詠)
寝転べば秋天我に降るごとし
広い丘の所々にベンチが置かれている。屋外で寝転ぶなんて何年ぶりだろうと思いながら、寝転んでみた。晩秋の晴れた空以外に視界に入るものは無く、見つめているとしだいに、底なしの青さが自分めがけて降ってくるような、そんな感覚にとらわれた。津山グリーンヒルズ吟行での句。(2010年秋詠)
弔のごみ焼くほとり赤のまま
また昨日の続きになります。葬儀で出たごみを焼くのも仕事の一つです。畑であったり、近くの空地であったりしますが、このときは家の傍の水路際の空地でした。秋の日はもう西に傾きかけ、肌寒く感じるような時刻になっていました。赤々と燃える炎の周囲には犬蓼がたくさん咲いていました。(2000年秋詠)
庭の木に鵯の一声葬の家
鵯の句をもう一句。前にも書いたことがありますが、2000年当時はまだ自宅での葬儀が普通でした。道路に面してお庭のある古いお宅の葬儀でした。葬儀も終盤にさしかかった頃庭の木に一羽の鵯が飛んで来ました。鵯は大きな絞るような声で一声鳴くと、たちまち飛び去ってしまいました。その声が妙に耳に残り掲句になりました。(2000年秋詠)