日の出でて紅葉濃くなる山路かな

早朝の山道を走るとたいていは霧の中。時間の経過とともにその霧が晴れ、朝日が覗くようになる。カーブを曲がると途端に朝日を受けた木々に出会う事がある。それも紅葉真っ盛りの燃えるように輝く木々。しかしそれも僅かな時間、見とれる暇もなく次のカーブへ、、、。(2021年秋詠)

8Kの視力の欲しや遠紅葉

細かい所が見えたほうが良い事もあれば悪い事もある。色づいた遠くの山などは細かく見えたほうが良いに決まっている。とは言え視力は衰えるもの、テレビのように4Kへ、8Kへとは行かない。我が家のテレビは目下デジタル止まり。4Kも8Kも量販店に並べられたテレビでしか見たことが無い。もっとも狭い部屋の小さなテレビで、4K、8Kと言ってもなあ、と言う思いも無い事はない。微妙な心境、、、。(2019年秋詠)

手をひろげ欅百年目のもみじ

国道53号線、御津のへんで見た欅の大樹です。欅の紅葉は黄もあり紅もあり、さまざまなようです。掲句、もともとは「黄葉」としていましたので、たぶん黄色だったのでしょう、車の中から見たひと際高い木の大きさと、形の良さだけが記憶にあって、色は曖昧です。もちろん、百年経っているのか、それ以上なのかも曖昧ですが、キリの良いところで、、、。(2012年秋詠)

こま犬の口の中にも紅葉かな

倉敷まきび公園吟行での句。合歓の会に参加して2回目の吟行、諸先輩がたに混じって余裕は全くありませんでした。藁をも掴む気持ちで覗き込んだ狛犬の口の中に紅葉が一枚、やっとこの日の最初の一句となりました。七句出句は今でも苦行です。(2008年秋詠)