手に受けて空のくずれし蓮の露

蓮の葉も撥水性があり、葉も大きいので水がたっぷりと溜まる。空を映した大きな水玉を、そのまま手に受けようと思ったが無理なことだった、、、。久米南にある蓮田での句、木道は田の中まで続き、葉や花に埋もれるような感じがする。雨の日は葉に溜まった水が突然に零れて来るから要注意です、、、。(2013年夏詠)

出水禍の電車ゆつくり橋渡る

線路脇に住んでいると、通り過ぎる列車の音がいつの間にか日々の生活のリズムに入り込んでいる。時々、掲句のようなことであったり、いつもは通ることの無い列車が通ったりすると不思議とそのリズムの違いに気づくものである。いつまでも続く通過音に気づくと、長い修学旅行列車であったり、ミステリー列車であったりすると旅心を誘われて楽しいが、、、。今日から七月、梅雨ももうしばらく続くだろう、、、。(2013年夏詠)

建前のクレーン伸びきる梅雨晴間

梅雨の晴間だけのことではありませんが、思わぬところで空に伸びたクレーンを見るのは何となく好きです。掲句、そのクレーンが完全に伸びきって、梅雨の垂れ下がった雲に今にも届きそうな感じだった。だいぶ遠いところだが何が出来るのだろうかと、そのクレーンの下あたりの地図を頭の中に描いて想像するのも楽しい、、、。(2013年夏詠)

鳶も子を育てるころぞえごの花

吉井川の川向こうに岸辺まで山がせり出したところがあり、高木が茂っている。この時季岸辺には、これも大きなえごの木に咲く白い花がちょうど良い距離感を持って眺められる。高木のどこかに鳶が営巣しているのであろう、えごの花に合わせるように、鳶の子の甘え声が聞こえるようになる。鳶の子は襲われる心配がないのか、その甘え声は大きくてうるさいぐらいに賑やかだ。ちょうどあのピーヒョロロを甘え声にした感じの声、、、。(2011年夏詠)

羽広げ風を呼込む鵜のかたち

いつ頃からか覚えていないが、吉井川にも河鵜が増えたり減ったりしながら生息している。時々川の中の岩場で羽を広げて動かない鵜を見かける。たぶん羽を乾かしているのだろうと思うのだが、寒い冬の雪の降る中でも同じ形でいることがあるからどうだか、、、。(2011年夏詠)

垂直にビルの空あり夏つばめ

街には街の、田舎には田舎の燕が夏を謳歌している。考えてみれば燕はずいぶん適応性にすぐれた鳥だ。田舎の農家の静かな納屋の中でも、一晩中明かりの点った賑やかな都会の駅舎でも、平気で子育てをしている。燕は秋には南に渡り、また翌年戻って来るというが、都会で生まれた燕は同じ都会へ戻って来るのだろうか、、、。(2011年夏詠)

水遣りの水素通りに吊忍

まだ借家住まいの頃だから、かれこれ三十年前ということになる。実家に帰ると祖父が手慰みに作った吊忍があった。葉も少なく、色も若々しい、いかにも作りたてといった感じだった。私が興味深そうに眺めていたら、祖父が「やろうか?」と訊いてきた。「うん、ちょうだい」それでその吊忍は我家に来ることになった。以来三十年、少し痩せて形もいびつになったが、今年も青々と葉を出している。中に木炭を入れていると言っていたので、それが長寿の秘密かも知れないなあと思いながら、かけたそばから下に落ちる水を見ている、、、。(2013年夏詠)