昨日の続きです。(2012年春詠)
海風を孕み岬の鯉のぼり
鷲羽山の展望台からの三百六十度の眺めはすばらしかった。鶯が鳴き、眼下には空と同じ青さで海が広がっていた。どちらかと言えば高いところは苦手だが、この景色には満足。五匹の鯉のぼりが腹一杯に海風を孕んで泳いでいた。(2012年春詠)
のどけしや名物婆が干物売る
触れし木に命の温み木の芽風
裏の柿の木が芽吹き始めました。この木も家族と一緒に借家の庭から引っ越してきたものです。植えた位置が悪く、大きくなるに連れいつも同じ辺りに触れるようになりました。いつの間にかその部分の表面が滑らかになり、何とも触り心地が良いのです。そんな柿の木に触りながら枝を見上げていると、ふと命というものを感じるのです。(2012年春詠)
洗濯の終る音して春の月
電子音のするもの、洗濯機、冷蔵庫、湯沸しポット、炊飯器、体重計、、、、。先日も突然鳴り出したピーピーという警戒音に、二人して探し回ったが、とうとう何の音だか分からずじまいになってしまった。結果として何事も起こらなかったので良しとした。この洗濯機は二十年物で、たえずガタガタと大きな音をさせながら働いているが、終ったときには優しい静かな音がする。早く言えば、間延びした一時代前のデジタル音ということだが。(2011年春詠)
惜春や熱きシャワーを満面に
若かったね、と自分に対して思う。歳をとるなんて事は考えてもみなかった。サッと泳いで、サッとシャワーを浴びて、サッと帰っていたのは当時の事。今はゆっくり泳いで、ゆっくりジャグジーにつかり、ゆっくりシャワーを浴びて、ついでにシャンプーまでして、体重と血圧を測って帰る。とにかくクールダウンは重要で、熱きシャワーなんて持っての他なのである。(1998年春詠)
昇進の紙に名は無し揚雲雀
こんな事もありました。サラリーマンの悲哀を感じていただけるでしょうか。(2002年春詠)
メーデーや事務所に残す電話番
携帯電話の普及でこういうこともなくなったであろうし、メーデー自体もずいぶん変わったと思う。積極的に組合活動をしたほうではなかったが、どうしても逃れられずに役員をしたこともあった。戸の開け閉めにも苦労するようなプレハブの組合事務所には、大きな電気ポットがあり、各種のカップ麺が常備されていた。もうもうと立つ紫煙の渦と、輪転機のインクの匂いと、若さだけはあった。(2002年春詠)
美作にぼたん寺あり暮の春
津山市院庄に清眼寺(せいげんじ)というお寺がある。通称「ぼたん寺」、今は本堂を建替えられて広くなったが、この句を詠んだ頃は狭い境内に所狭しと牡丹が植えられていた。毎年ぼたん祭が開かれ多くの人で賑わう。(2008年春詠)
朝つばめ川面の影にふるるほど
時に左、時に右と舵をとりながら、実際時々は水面に触れているのだろうと思えるぐらいの位置を滑って行く。天候や風向き、気温によって餌となる虫のいる高度が異なるのだろう。いつもこうとは限らない。それにしても、すごい動体視力だと思う。(2009年春詠)