絵画展、それも素人の無料の人の少ない絵画展。入口には受付があり、芳名禄が置いてあるが誰もいない。こっそりと受付をすり抜けると、絵の前に佇んでいる人もまばらである。出る頃には受付に人が戻っていて、「ありがとうございました」と声をかけられる。そんな絵画展が好きで、図書館の帰りに寄ったりした。(1998年夏詠)
村中を見渡す墓地や朴の花
当時は毎週のように大阪の本社へ出張していた。中国自動車道を走ると四季折々の花が見えるが、朴の花もその一つである。多くはないが、何年も通っているうちに木の場所を覚え、花咲く季節になるとすらりと伸びた木の緑の中に、ぽつんと見える白い花を見つけるのが楽しみだった。(2001年夏詠)
青嵐トトロ出さうに木々揺れて
やたらと敷地の広い会社だった。少人数になってからは植栽の手入れもままならず、夏になれば大木に青葉が茂った。強風が吹くとその青葉が煽られて大きく揺れる。遠くから見るとまるで「隣のトトロ」のワンシーンのように見えるのだった。どんぐりの木もあった。(2009年夏詠)
子の数の傘並べ干し風薫る
昨日の雨が嘘のように上がった五月の晴れた日の朝、前にも登場していただいた通勤途上のお宅、通りかかると道路に面した庭に、色とりどりの傘が所狭しと広げてあった。子沢山とは知っていたが、壮観だった。あれから十年、、、。(2002年夏詠)
葉の戦やがて花へと杜若
矢車の音降る下に犬眠る
これは我家から国道を渡ったところにあるお宅。道路脇に農機具小屋があり、その隅に小さな犬小屋が置かれていた。黒白のぶちの犬が飼われており、通勤の途上ではよく吼えられたが、たまたま昼間に通ると、暑さのせいか犬は眠りこけており、家の前に立てられた柱の上からは矢車の小気味よい音が降ってきた。すでに端午の節句は過ぎ、鯉幟の姿はなかった。(2001年夏詠)
庭先に運ぶ珈琲聖五月
オープンガーデンが今ほど盛んではなかった頃、妻のお供で県内各地のお宅を訪問したことがある。五月のよく晴れた朝だった。少しだけ拝見して帰るつもりが、手入れの行き届いた庭先の小さなテーブルで、本格的なコーヒーをご馳走になった。花に囲まれた至福の時間だった。このお宅は今でも毎年オープンガーデンをされている。(2002年夏詠)
カーテンをふわり五月の風通る
五月は何と言っても風の季節ではなかろうか。風に泳ぐ鯉幟であったり、風に鳴る矢車の音であったり、そして開け放った部屋のカーテンを悪戯っ子のように吹き上げて通る風。良い季節になった。(1998年夏詠)
グラタンの熱きを吹いて春終へる
今日で春も終わりか、と。俳人になるまでは、春に終わりの日があるなんて思いもしなかった。春も夏もいつの間にか来て、いつの間にか去っていった。今は、明日からの夏に備えて、新しい俳句手帖に名前を書き込み、季寄せをパラパラとめくって見る。そういえば最近このような食べ物が食卓に登ることが無くなったなあ。(1998年春詠)
丹田に力こめても目借時
はい、どうやっても眠いときがあります、、、。(2009年春詠)