道なりに行けば墓あり里の春

田舎に行けばどこも似たようなものですが、それぞれの家にほど近い場所に墓地があります。私の実家の今使っている墓地は、家から三百メートルほど離れた場所にあります。家のすぐ裏手にも古い墓地があるのですが、こちらは私が生まれる前から満杯で、私の曽祖父からはこの離れた墓地に眠っています。墓地までは川沿いにカーブしながら道が続いています。天気が良ければその道を、それぞれ花やお供えを持ってお坊さんと一緒に歩いて行きます。行き着くまで車にも人にも会わないようなところです。雑音の一切ない静けさの中を流れる水音や小鳥の声を聞きながら、それぞれの歩調で歩いていきます、、、。<その3>(2009年春詠)

線香に咽る連鎖の春座敷

これはたまたま父の七回忌での光景ですが、こんな事ってよくありませんか?まだ戸を開けての法要には早い時季、気を利かせたつもりで向けた暖房のかげんで、お坊さんが一番に咽だして、やがてその煙が部屋中に漂って、あっちでもこっちでも、、、。<その2>(2009年春詠)

ふるさとの水音高し初蛙

出来る時は出来るし、出来ない時は出来ない。俳句ってそんな物ですね。だから出来る時に詠めばいいと思っていると気が楽です、、、。掲句は父の七回忌を終えてホッとしている時に鳴いた初蛙です。七回忌の前はさすがに気がかりで、思うように詠めませんでしたが、この初蛙の大きな声がきっかけで詠めるようになりました。この時の句を中心にまとめて、アンソロジー合歓Vol.3に「山ばかり」として出しました。既出の句もありますが、まだの句もありますので、それを少し書きます。<その1>(2009年春詠)

蔵街の大樽干せる日永かな

初めて句会に出たときの句です。今でこそ倉敷美観地区は行くことが多いですが、美観地区もこのときが初めてでした。倉敷川の流れや美術館前の人の数は今と変わらないと記憶していますが、その他はどうなんでしょう。とにかく夢中の一日で、覚えているところが少ないのです。この大樽もどこだったか、、、。(2002年春詠)

鉄塔に薄き日輪黄砂降る

近くにある高圧の送電線用の鉄塔を見上げると、ちょうど鉄塔の先に太陽がかかっていた。普段なら眩しい太陽が、くすんだ赤色に見え、周囲は汚れた黄色に縁取られて見えた。明るいはずの春の午後が何となく薄暗く、うそ寒い感じがした、、、。黄砂は昔からあったが、今ほど多くはなかったし、春になった証のようなものだと思っていた、、、。(2000年春詠)

子雀の来る庭先にパンの耳

雀は屋根の隙間のようなところに巣を作ります。だから今風の洋風の家よりも昔ながらの純和風の家が好きなようです。我家は洋風ではありませんが、典型的なプレハブで、巣をつくる隙間がないようです。で、道を隔てた和風のお家で育った雀が我家の庭に遊びに来ます。そこで、時々こんな遊びもしてみます、、、。(1999年春詠)

風船や風船売の手を離れ

ヘリウムガスが不足しているせいでしょうか、街から風船が減りました。掲句はそんなことがなかった昔、催し物があれば風船売が付き物で、一つや二つは手を離れて空に舞っていた頃の句です。ほんのちょっとしたミスなんです。風船売と客が「あっ」と言ったのと、私がそちらを見たのと、ほとんど同時でしたが、その時にはもう、、、。(1999年春詠)

蒲公英の発つ時近し飛行音

二年目に入り、また原点に戻って古い句を持って来ました、、、。このブログに使っているソフトは WordPress という無料のソフトですが、よく出来ていて、予約投稿という便利な機能があります。その機能を使い、だいたい一週間ぐらい先を目処にして書くようにしています。今(書いている今)は五日の啓蟄です。青空が広がり、やっと暖かくなりました。囀も聞こえています。そうすると、予約投稿した五日の啓蟄の句はちょうど合っていたなあ、と喜んだりするのです、、、。(1998年春詠)

平和とは何もなきこと春落葉

無理やりここまで来た感じですが、やっと一年になりました。おりしもその日が3.11とは、、、。俳人の多くの方が震災を詠まれています。私も何句か詠みましたが、どうしても上滑りな句になってしまい、長続きしませんでした。結局震災に関しては、言葉にするよりも心の中で祈ることのほうが私には向いている、というのが勝手な結論です、、、。それはともかく、一年間お付き合いいただき本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。読んでいただけることが何よりの励みで、今日まで続けることが出来ました。さて、これからはどうするか、と言うと、引き続き書いていくつもりではおりますが、そろそろネタ切れになってきました。ある日突然途切れてしまうかも知れませんが、その時はご容赦ください、、、。今後ともよろしくお願いします。(2012年春詠)

背表紙に残る金文字日脚伸ぶ

たぶんこの頃からだったと思います、古本市で沢山の本を貰ってくるようになったのは。古本市も今は図書館の入っているビルの一角でこじんまりと行われますが、当時は商店街の空き店舗を何ヶ所も使った、町おこしのイベントでした。一年で読み切れないほどの本を貰っていました。そんな中の一冊です。何の本だったか忘れてしまいましたが、昔の本の装丁にはずいぶん凝ったものがありました。書き手が一流なら、装丁をする方も一流。古本の黴っぽい匂いの中で、剥げかけた背表紙の文字を眺めていると、それだけでいっぱしの文士気分になれるのです、、、。(2003年春詠)