珍しく窓を開けて走る電車を見て思わず句にしましたが、よくよく考えてみると、窓が開いているという事は冷房が無い、すなわち暑いという事か、、、。(2018年秋詠)
蟋蟀に覗かれてゐる外厠
某名刹の新しいトイレ、落葉が入るので必ず戸を閉めるように貼紙がある。戸を閉めて用を足そうとすると目の前の窓枠に蟋蟀。しっかりこちらを見ている、、、。(2018年秋詠)
ふらふらと来て鳴き始む秋の蝉
蝉には気温の上下が微妙に影響するように思います。少し涼しくなっただけで蝉の声がずいぶん違います。掲句は夕方の油蝉、、、。(2018年秋詠)
人待ちの橋の袂の秋日傘
今日は処暑、そろそろ暑さの治まる頃です。近所にある少し大きめの橋、歩いて渡る人はほとんど見かけない。まして橋の袂で日傘を挿して人待ち顔のご婦人となると否が応でも目立ってしまう、、、。(2018年秋詠)
秋の声クマのパン屋と街宣車
のんびりとしたクマのパン屋の音楽と賑やかな街宣車の音楽と、どちらも遠くで。まあこれも秋の声かと、、、。(2018年秋詠)
冬瓜や夏の疲れは秋に出る
この夏はいろいろあって疲れが出たのかなあ。先日ひいた夏風邪が抜けきらず、身体は元気なのに咳が出て困っています。掲句は昨年、たぶんご近所で冬瓜をいただいた時の句、、、。(2018年秋詠)
煌々と裸電球懸煙草
父が役場に出だしたのは私が小学生になってからで、それまでは葉煙草農家だった。その頃の葉煙草の生産は子供の眼から見ても大変な作業だった。暑い盛りに収穫し、縄にずらりと吊るして乾燥場に入れる。乾燥場には大きな窯場があって、これまた暑い盛りに何日も温度と湿度を管理しながら火を焚き続けるのである。何人かの生産農家の若者の共同作業で、乾燥場に併設された裸電球の下がった板場に茣蓙を敷いただけのようなスペースで仮眠を取りながら交代で火の番をする。夜ともなればその裸電球の下で、関係のない近所の若者までが集まって毎晩のように酒盛りが始まるのである。子供が乾燥場に居るのを許されるのはその頃までで、煌々と輝く裸電球と大人の笑い声を振り返りながら自分の家に向かうのだった、、、。(2018年秋詠)
人来れば鳴く鈴虫の買はれけり
道の駅に行くといろんな物が売られている。メダカ、クワガタ、カブトムシ、そして鈴虫も。こんなところで鳴くのかな?と思って待っていると鳴いた。ちょうどその時客が来て、迷わずその鈴虫に手を伸ばした、、、。(2018年秋詠)
ゆつくりと歩くも修行鉦叩
愛犬もみじの足が急激に遅くなったのが昨年の今頃だった。いずれこういう日が来ると覚悟はしていたが、いざそうなるとやはり辛かった。その日の状態を見て犬に合わせて歩くようにしたが、ゆっくり歩くのも簡単なようで結構大変な事だった。それが修行という言葉になった。その頃の句、、、。(2018年秋詠)
画面よりアルプス席の秋風が
台風で一日遅れましたが夏の高校野球ももう少しですね、、、。(2018年秋詠)