一群に一羽見張の鴨の声

煤逃げの散歩に行くと穏やかな日差しの師走の広い川面にいくつもの鴨の群があります。隅っこのほうには浮寝のグループが静かに浮いていますし、賑やかに遊んでいたり、羽の手入れをしていたりするグループがあります。観察すると、ところどころに見張役の鴨がいて、一定間隔で声を出しています。その声の調子が近づいて行くと次第に強くなるのです。離れて行くとまたのんびりとした調子に戻って行きます。なるほどなあと思うのです、、、。(2016年冬詠)

柏手の頭上に青き注連飾

昨年12月22日、倉敷阿智神社での句です。一か月前には境内のテントの中で作られていた注連縄がこの日にはすでに飾られていました。新しい藁の青い色と匂い、いいですね。注連飾は新年の季語ですが一足お先に、、、。(2016年冬詠)

冬の雨捨田休田へだてなく

句会へ山道の国道を抜けて行くと、至る所に使われなくなった田圃があります。私の実家の田圃もそうです。稲作を止めたのは父ですが、きっと苦渋の決断だったのでしょう、帰省した私に謝りながら止める事を話しました。田舎を後にしている私には賛成も反対もする権利はありませんし、どちらかと言うと賛成でした。無理はしないで欲しいとか何んとか言ったように思います。あれから何年でしょう、そのような田圃を見ると、どうしても田舎を思い出してしまいます、、、。(2016年冬詠)

ラグビーの夢より覚めて膝痛む

我が母校のラグビー部、我々が行きたくても行けなかった全国大会へ今年で4回連続出場となる。大会は昨日から、初戦が今日。どんなチームになっているのだろうかと気になるが、少なくとも行きたくても行けなかった我々の時代より強いチームになっていることは確か。行けなかった我々は何も言えない。陰ながら健闘を祈るのみ、、、。(2016年冬詠)

地の底の暗さ冬至の夜明かな

技術屋の性分でついついグラフにして考えてしまう。春分、秋分がプラマイゼロの横線との交点で、夏至で頂点に達したカーブは秋分で再び横線と交わり冬至へと下降する。そしてマイナス最下点が今日、冬至、、、。(2016年冬詠)

ベルギーの和服の少女冬ぬくし

児島虎次郎の絵に「和服を着たベルギーの少女」があります。大原美術館の入口に展示されていますが、虎次郎には同じような和服を着た外国の少女の絵があるのか、子供の頃から田舎の美術館で何度も見た記憶があります。あるいは誰かの模写された物だったのかも知れません。誰もいない美術館の中を走り回っていた頃です。さて掲句、倉敷の商店街に子供たちの描いた大原美術館の名画が展示されていた時の句です。人気があるらしく、同じベルギーの少女を描いたものがあちこちにありました。児島虎次郎と同郷であること、それだけの事なのですが、この絵を見るとうれしくなるのです、、、。(2016年冬詠)