らつきようの白き眠りの瓶の底

先日 money.child さんに発掘していただいた初心の頃の句です。自分でも懐かしくて書いてみました、、、。好みはまだ青臭さが残るぐらいのラッキョウですが、二人暮らしになってからというもの消費量ガタ落ちで、古いラッキョウがいつまでも出てきます。困ったものです、、、。(1998年夏詠)

ちよつと手の届かぬ高さ桑いちご

こんなところに桑の木が、と気づいたのは数年前で、散歩途中の土手に一本だけ大きく育っています。おかしなもので、気づくまでは全く興味がなかったのに、気づいてからというもの桑の実の熟れ具合がきになります。そろそろ黒くなってきて食べごろかと思うのですが、残念ながらちょっと手が届かない、、、。(2015年夏詠)

走り梅雨三鬼の句碑の文字黒し

そろそろ梅雨が近い雰囲気になってきました。掲句は三鬼生家前の句碑です。車で市内から旧道を帰る途中に三鬼の生家はあります。俳句を始める前の三鬼のサの字も知らなかった頃から数えると何百回と通った道で、いつも車の中からチラリと見て通り過ぎます。生家の前に「枯蓮のうごく時来てみなうごく」の句碑が出来たのは比較的最近です。黒く塗られた文字が雨に濡れて余計に黒く見えます。もう少し落ち着いた色にして欲しかったと思うのですが、、、。(2015年夏詠)

代田から代田へ朝の風の波

毎年のことですが、代田の広がる朝の風景は美しいと思います。まさに日本の原風景といった感じ。素人の私の観察では、たいていの場合田植の前日の夕方に代掻きをし、一晩置いて静まった翌日に田植をするようです。すなわち、その朝の代田の鏡のように空を映した輝きを一番美しいと感じるのです、、、。(2015年夏詠)

ふりむいて猫も孤独や片かげり

猫にだって表情がある。掲句の猫は阿智神社で見かける猫。たぶんノラなんだと思うけれど、それほど薄汚れているわけでもなく、正確なところは分からない。本殿の板場で寝ていたり、石段の横の茂みから出てきて前を横切ったりする。たいてはツンツンして通り過ぎるだけだが、何の拍子かこの時は行き過ぎてから振り向いた。その表情、恋に破れた後だったのかも知れないような孤独な顔、、、。(2015年夏詠)

エレベーター開いて母子の夏帽子

一階でエレベーターを待っていると開いたドアから若いお母さんと小さな女の子が出てきた。二人とも大きな帽子をかぶり、すっかり夏の服装。さあ出かけるわよと言った楽し気な表情で話しながら出口に向かって行った。外は暑い、、、。(2015年夏詠)