身のまはり隙間の多し春の鴨

掲句は完全なこじつけです、、、。先日読売新聞に、GPSでの位置計算に相対性理論を使うことによって、誤差を5Cm以内に抑えた自動制御の記事が載っていました。昔タイムマシンについて書かれた本を読んだときに相対性理論が出てきて、難しいことはサッパリ分からないけど、何となくタイムマシンの可能性を感じたりしたことを思い出しました。相対性理論は今でもわかりませんが、昔夢の中のことのように感じた理屈が、現実の中で使われるようになっているなんてホント驚きです。人間ってすごいものですね、、、!(2014年春詠)

春泥や轍伝ひに行潦

午後の散歩で出会うその女性は、近くに一軒だけある個人商店へ日々の食材を買いに、毎日通われているようだった。最初はヨチヨチ歩きの子供を連れていた頃で、それで声をかけて頂けたのだろうが、以後会釈を交わすようになった。私の連れている子供はやがて二人目に替わり、そうこうしているうちに犬が加わり、犬だけになり、今では大きな黒ラブに替わっている。女性のほうはいつも農作業用の帽子をかぶり、長い間自転車で乗って通われていた。その帽子は今も全く変わらないのだが、この冬から自転車が手押し車に変わってしまった。ちょっとした坂道も平気で登っておられたのが、最近は途中で休まれていることが多い。そんな時に挨拶をすると、目深にかぶった農作業用の帽子の下から弱弱しい笑顔が返ってくる、、、。(2014年春詠)

さざ波の数の春光まぶしめり

プラスチックレンズになって眼鏡の値段は安くなり重さも軽くなった。それはメリットだけれど、デメリットとしては傷つき易くなったことがある。硬い物にぶつかると傷つくし、汚れを拭き取った時に細かい擦り傷が出来たりする。そういう眼鏡をかけていると、傷で光が拡散して、それに加齢による視力の衰えが加わって、何でもない光がやたらと眩しくなってしまう、、、。それはさておき、掲句は程よい眩しさの漣に覆われた、備中国分寺近くの旧山手村役場の建物がある近くの池を眺めていたときの句、眼鏡を新しくした後の句です、、、。(2014年春詠)

一面のたんぽぽ白に黄に白に

タンポポには白と黄があって、背の高さもいろいろです。調べてみると在来種と外来種があって、外来種は黄色、在来種には白色と黄色があるようなことが書かれています。さらにそれが雑種になって、と複雑なようなのでそれ以上は調べませんでした、、、。掲句、我家の裏の土手に咲いたタンポポ、こちらは明らかに交配が進んでいるようです、、、。(2012年春詠)

休田に水音少し根白草

泳いだ後にジャグジーで寛いでいると、二歳ぐらいの男の子と、赤ん坊を抱いた若いお母さんが入ってきた。赤ん坊は水玉模様の水着を着せられているから女の子だろう。プールの貸し出し用のキャップで隠れそうな頭が何だか頼りない。「どれくらいになるの?」「4ヶ月半です。今日がプールのデビューなんですよ」「これぐらいから慣らすといいだろうね」「そうなんです。お兄ちゃんの時は大変でした」と言うそのお兄ちゃんも、まだキャップにジャグジーの泡を溜めて遊んでいるぐらいなんだが、、、。(2014年春詠)

春雪や汽笛短き朝の汽車

さすがにもう降ることはないだろうとは思うのですが、天気予報では週明けからまた寒くなるそうなので、今年のお別れに春雪の句を書いて予約しておきます(3月18日)。当たるも天気予報、当たらぬも天気予報、、、。(2014年春詠)

秋に見し絵描またゐる山笑ふ

国道313号線の多和山トンネルを抜けて高梁側に下りると、吉備高原の端になるのだろう、急に切り立った山が迫って来る。やっと帰ってきたと故郷を意識するのがこの辺りで、春夏秋冬絵になる風景を見せてくれる。前年の秋に道端でその山に向かって絵を描いている初老の方を見かけ、一旦車を止めたが、邪魔をしてはと思い直してその場を後にしたことがあった。山に向かって絵を描く男のいるその風景がまた一枚の絵のようで心に残った。で、そんな事は忘れて次の春に通りかかったのだが、また同じ所で同じ方が、、、。(2014年春詠)

雲の影大きく舐めて春の山

これは吉備路、足守から総社へ裏道を走りながら見た鬼ノ城の辺りを動いていく大きな雲の影。山もゆったりとした山容を見せている。県北の中国山地の山並や、高梁あたりのカルスト台地の侵食された切り立った山では、こうは見えない、、、。(2014年春詠)

いにしへを想ひしをれば蝶よぎる

備中国分寺の山門から少し下ったところに梅園がある。名所旧跡に限ったことではないが、今はこうだが昔はどうだったのだろうかと、古い時代を想像してみると楽しい。例えば備中国分寺であれば、その周囲の道の様子であるとか、民家の数であるとか、行き来する人の数とか。簡単に言えばよくある何々寺縁起というような絵巻物のような世界を、現在の風景を眺めながら想像してみる。満開の梅園でそんなことをしていたら、突然湧いたように目の前を蝶が過ぎて行った。おっとっと、俳句を詠まなければ句会に間に合わないぞ、と、、、。(2014年春詠)