一息に塔の上より恋雀

備中国分寺の五重塔。人間の登ってこない塔の上は雀にとっては格好の生活の場なのでしょう、普段でも枯草のような物を咥えて上の階へ上の階へと登っていく姿を目にします。そして繁殖期、二羽がもつれるようにして落ちてきます。アレアレと思う間もなく、地上の手前で、何事も無かったように二手に分かれて飛んでいくのです、、、。同じような光景を奈良の薬師寺でも見た記憶があります、、、。(2014年春詠)

春昼のたつぷりと水使ふ音

近所から聞こえてきた音。蛇口から勢いよくバケツの底を打ち、その勢いのままに音の高さが低く変化し、溢れる寸前のところで蛇口がしまる。ほんの少し間が空き、その水を勢いよく丸ごと何かにかけるような音。少し間が空きバケツを置く音、また蛇口から勢いよく水が、、、。と、それが何度も繰り返される。まったく声は聞こえない。わざわざ見にも行けないのだが、その水の使いっぷりが何とも気持ち良く聞こえてくるのだった、、、。(2013年春詠)

コミュニティーバスの桃色あたたかし

田舎のどこに行ってもコミュニティーバスに出会うようになった。それだけ過疎化が進んで、路線バスの運行が成り立たなくなったということなのだろう。コミュニティーバスは小型で丸っこい形のものが多い。そして色は桃色系、、、。こんな時代が来るなんて思ってはいなかった。田舎の細い未舗装の道を路線バスにゆられて旅をした頃が懐かしい、、、。(2014年春詠)

トンネルを抜けて水来る春の川

自然の川の流れも良いのだが、琵琶湖疏水を見てからは人工の流れにも惹かれるようになった。掲句は琵琶湖疏水では無く、川というか用水というか、水が丸ごとトンネルから出て来ていた、普通の田舎の小さな流れの風景。人工の流れにはトンネル以外にも、橋を渡ったりサイフォンの原理で川の底をくぐったりと、風景ののどかさとは別の面白いことがある、、、。(2014年春詠)

春昼の訛くすぐつたき茶房

昨日と同じく茶房いかしの舎での句。いつもこうなのか、たまたまなのか、茶房の客は句友を除けば常連と思われるそこそこ歳の行った男性二人、店の若い女性相手に会話が弾んでいた。会話はコテコテの岡山弁、妙に懐かしいような、くすぐったいような気分になるのは、子供の頃に親しんだ故郷の訛に近かったからだろう、、、。(2014年春詠)

春雨や窓にうるみし茶房の灯

早島のいかしの舎の一角にある茶房いかしの舎、窓からは庭園の一角が眺められる。外は雨、窓ガラスは暖房と厨房の湯気と雨とでしっとりとしているのだろう、庭の景色の中に室内の灯が映って、潤んで見えていた、、、。(2014年春詠)

霾ぐもりなにやら他のものまでも

PM2.5のせいですかね。同じ黄砂の日でも、昔はもう少し明るかったように思うのです。砂だけなら自然の物なので、まだ許せますが、PM2.5は許せませんね、、、。アレェ~、なんと今日で三年ではありませんか!目標の三年達成ですョ!ありがとうございます。皆様の叱咤激励のおかげです。もういつ止めても大丈夫と思いつつ、明日以降は惰性でがんばります。引き続きご愛読をお願いします、、、。(2014年春詠)

板橋に光ちりばめ別れ霜

あれが別れ霜だったかと、後になってみないと分からないのですが、勝手に別れ霜だろうと決め付けて早々と句を作ってしまいます。と言うよりも、もうこれでお別れにしてよと、こちらからサヨナラを言いたいのが別れ霜かも知れませんね、、、。(2014年春詠)